2021年03月18日 17:56
この地獄は私だけからの視点の記録であり、個人の感想や思想が入り混じっているため正確な地獄ではありません。
Astraiosは、EurosとBoreasの統合で始まった。
Astフランスでは、紆余曲折あったがBoreas人であった私が大海戦の司会者を任されることになった。
Boreasの時点で私と協力してくれていた方たち数名が、チームには入らず、外から見守ることとなった。
Boreas時代のフランス、いやBoreasといサーバー全体の空気か?
味方以外は全部敵みたいな風潮があったのだが
Astraiosになってみたら、なかなかそれは通らない。
そもそもBoreasは特異なサーバーで、力を持っていた国がネーデルラント・ヴェネツィア・フランスという新3国だった。
それも関係しているのかもしれない。
私は郷に入れば郷に従えですんなり入り込めたが、それに違和感を感じた人もいたのかもしれない。
私は切り替え、Eurosuからの協力者数名と 究極の八方美人を目指すという話で一致した。
ただ、これは公言していない。
統合したてのフランスは、序盤のイスパニアとの投資戦で劣勢に立たされ、同盟港が存在しない日が続いた。
イスパニアとは一時休戦停戦の話が一時は持ち上がったのだが
Eosイスパニアの介入により破談、投資戦は激化の道をたどった。
この時点で八方美人になるとは さすがに言いにくい。
相手国をイスパニアに絞り、強気過激な言論やブログで人の目をひきつける。
イスパニア以外の国を味方に引き込むため、積極的に関りを持ち、友好をつなげる。
(この時点でポルトガルはEuros以来の親フランス国家だったので、色々面倒を見てもらったし、ご教示も受けた。
私が親ポルトガルの立場を取るのは、間違いではないと今でも確信している。)
何しろフランスは人が少ない国なので、軍人だろうが冒険家だろうが、とりあえず投資に協力をして
大海戦にもたくさん出てくれる、協力してくれる雰囲気を自然なものに繋げる。
幾ら多くの国の方が協力してくださったとしても、身内から人が出ていないのはお話にならない。
少ないながらも精一杯の動員をしなければならない。
そして 大海戦をとりあえず盛り上げる
Astraios1の大海戦お祭り国家を作り上げなければならない!
とりあえずこんな形で、対イスパニアの形をとりつつ、みんなの人気者になろうという思いで
私たちは活動していた。
大海戦やイベントの前には、寝る間を惜しんで数人がブログを上げ続けた。
その勢いは、フランスからのお便りブログがブログランキング上位を席巻するほどだった。
それにつれてフランス・ポルトガル陣営の参加者もうなぎ上り。
相手がイスパニア・ネーデルラント連盟の大海戦が発生するときは
他5国連合VSイスパニア・ネーデルラント連盟の大海戦のような勢いだった。
フランスに各国から亡命者も増えた。
みんなで弱いフランスを盛り上げよう、楽しい大海戦をやろうと一致団結したかに見えた日々があった。
私は投資にも協力するため、ヴェネツィア・ネーデルラントの投資をなさっている方や、議長さんに接触をし
伊蘭仏投資連盟をくみ上げ、イスパニアに対抗をもした。
ヴェネツィアからは当時の議長さんだったチェザーレさん・他皆さまのご尽力を得て
いつか争いが始まるまでとの抽象的なお約束を頂き、アテネとベイルートの2港を租借させていただくことにもなった。
その日はある時、不意に訪れた。
イスパニアからの投資が止まったのだ。
フランスは地中海を席巻し始めた。
この時点で私は投資のまとめ役をしている Hさんと確認をした。
イスパニアを殺しすぎないと。
Hさんも同意見だった。
南米の港とカリブの数港は残していこうと話だったのだが
同時にイスパニアに対抗していたネーデルラントとヴェネツィアは、各地のイスパニア港に攻撃を始めた。
ここで投資をなさっている方々から、我々だけ投資を止めるのは如何なものかとの声が上がる。
私とHさんでは、その声を制すことは出来なかった。
この時点で、ナポリとシラクサをヴェネツィアが奪取してはどうか?と打診をしたのだが
一度断られている。
それならばとナポリ・シラクサをフランスが占領したのだが
そのすぐ後にヴェネツィアに譲ってくれないかと連絡があり、現状までヴェネツィア旗ととなっている。
この時点でヴェネツィアのとりまとめ役(チェザーレさんから代替わりしている)が親イスパニアの方だったので、
義理を通そうとしたのだろうが
ナポリシラクサはヴェネツィアが投資を頑張っていた港
何故フランスに譲るのかと声が強く上がったのではないかと推測する。
さてはて、この時点でフランスの影響度は3位を伺う4位、現状のままだと大国をも見えてきてしまう。
今後をどうするかを協力者数名と話し合った。
皆、あまり良い感想を持ってはいなかった。
4位とか5位の位置で八方美人を振りまくのが理想だったからだ。
ただフランスが3位に上がると、入れ替わりに下位に落ちるのが当時はポルトガルだった。
1位と2位をネーデルラントとイングランドが争い、フランスが3位に上がるが
下位に落ちていくポルトガルとの連盟は、依然堅固なままである。
この事が私たちの安心感につながった。
まぁ、なんとかなるよ、とりあえず現状を見守ろう。
これが私たちが出した結論だった。
だが、これがなんとなからなかった。
イスパニア港を取り合った後に、投資の行先が無くなってしまったのだ。
ポルトガルが持っている西アフリカの一部の港に対して、投資をしてはダメかとの声が上がった。
私は強く反対した。
この時点で、西アフリカの市長を常に狙いたいTさんがフランスからポルトガルへ亡命をした。
ポルトガルからならば西アフリカ市長投資に遠慮することがないからだ。
投資の行先がないとの声は常に常に上がり続けた。
ある時、それならば ポルトガル港がしばらくネーデルラント港に成り代わっている時にならば
フランスが攻撃をしてもいいのではないか?との意見が出た。
この時点でネーデルラントが一番力を持っており、西アフリカのフランスポルトガル港は
しばしネーデルラントの攻撃を受けていのだ。
私は、これ以上声が抑えられないと思い、その状況下ならばと受け入れた。
この時点で、ポルトガルは著しく力を落としており、外洋同盟港の維持をするのが難しくなっているのも現実だった。
ただイベリア各地はギリギリで維持をしており
時々は余力をもって、フランス港になっている 西アフリカ奪取に向けての投資も行われた。
これは大きな問題か?
旧同盟港に対する投資を行ってはいけないのか?
フランスとポルトガルが友邦であったとしても、いや友邦であるからこそ、ここは認めなければいけないところなのでは?
私は、ポルトガルからの旧領回復の投資を仕方がないと割り切っていた。
友邦だからこそ、いつかは譲ってもいいのではないかと考えていた。
ただ、一部のフランスで投資を行っている人物達からは
この投資に対して、攻撃だという声が上がった。
攻撃に対して報復をすると声が上がった。
報復?
私は、この言葉を使用したことがない。
大きな違和感が持ち上がった。
その場その場で、今回は許してほしい、仕方がないと受け止めてほしいと発していたのだが
私の言葉は通じない。
一時的に受け入れてもらっても、次の機会にもまた同じことがある、繰り返す。
環境も少し変わった。
いつまでも同じメンバーでゲームは続けられない。
私の周りの協力者達も数人が去っていった。
少ない人数で頑張っているのが、少しお互いに疲れてきた。
また、ほかの国からフランスに来る方が多くなった。
劣勢だった頃、人数が少なかった頃には大歓迎だったのだが
勝ち馬にのる、投資をしたい、攻撃したい、そのような思惑を持っている方が多いのでは?と辟易してしまう自分がいた。
私も仕事が忙しくなってきており、INの頻度が減りだしたのもこの頃だった。
仕事が忙しいという理由で、遠ざかりたかったのもある。
たまにINすると、非常に状況が激変している。
これは私の身近にもあった。
私の商会の英国人がフランス国籍になっていた
フランスになりましたー!とアピールされたのだが、
私は商会にフランス色を出来るだけ持ち込みたくない主義。
あ、そう。と冷たく返事をした。
がっかりした。
そして、またしばらくINの頻度が減ると
私の商会のフランス人の多くが、投資会議に参加するようになっていた。
またまたまたまた 大いにがっかりした。
私の友人たちを今のフランスに巻き込まないでほしい。
私は代わりに投資会議に出るのを止めた。
ただ、大海戦の司会だけは変わらずに続けた。
皆と協力をして続けてきたものだ、今更やめられない。
ただ疲れもあり、ブログも以前のように書けなくなった。
精神的な疲れが大きかった。
前よりも大海戦が面白くなくなった。
このあたりで、再びポルトガルが力を取り戻してきた。
ネーデルラントが、急激に力を落とし、下位に急落した。
その代わりに外洋の旧領を取り戻したポルトガルが、西アフリカ奪還に動き始めたのは自然な流れ。
フランスとポルトガルが投資でぶつかる時がいよいよ来てしまったのだ。
ここで私は召還を受けた。
この時点では、まだ、フランスの投資を行っているメンバーの中に
ポルトガルと投資戦を行わないという理性があったのだと思う。
どうにかしてポルトガルと話を付けれないかとの要件だった。
そういうことならばと私は引き受けた。
まずボストン・シスコの投資が激化していたので、これを止めてもらった。
出来ればその2港はフランスに譲ってほしいとの話を持ち掛ける。
その代わりに西アフリカをいくつか返却するのでダメだろうか?
この話し合いの最中に、ブルネイにフランスの投資が入ったとの連絡がある。
投資を行ったのはHさんの裏キャラだったとの噂もはいる。
ここは正直、ポルトガルに目を瞑っていただきたい箇所であった。
ここでHさんはブルネイに投資を行っていない。と私は確信している。
私の思い込みでしかないが、この時点でポルトガルとフランスを争わせたい第三者がいた。
私には常に善人ぶりながら、口の端々に私とポルトガルが嫌いなことが垣間見える人物だった。
フランス人の投資家の幾人かも抱え込み、時々交易品やお金を「頑張って。負けないで」と援助していた。
私がいつも「嫌な奴」と話しても「そうでもないよ?交易品くれたよ」と返事が返ってきたので
どんなに嫌な人間かを力説することは出来なかった
いや、力説した時もあったw
話は元に戻すが、その方がブルネイにHさん裏キャラ偽物で、投資をしたのではないかと 私は未だに思っている。
それに例えフランス人の手で投資が行われようと、こういう時点で止まらない時もある。
声は全員に伝わらないし、染み渡らない。
細かい面は目を瞑って、出来るだけ進歩的な話し合いを継続したかった。
ただポルトガル側からは不信の声が伝わり、それを不満に思うフランス側は暴発した。
私は開いた口が塞がらず、しばらく呆然としていた。
投資は様変わりしている。
シスコ南蛮である程度のお金は誰もが手に入る世界になってしまった。
また課金ロットのアイテムや鍛錬具箱が貨幣代わりになっており、その気になれば動かずしてお金が作れる。
私が必死に換金して集めていた鍛錬具も、いずれ値下がりするのだろうなと悲しくなった。
お金の力は下がる、ただその力は以前よりも猛威を振るうようになる。
フランスとポルトガルの投資戦は、瞬く間に世界を二分する争いになってしまった。
しかし、私はまだフランスを愛していた。
ただ、多くの協力者や友人は去り、たまに話してもどうしてこうなった、滅びを見つめよう等と退廃的な話を多くするようになった。
話した後、たいていその人はいなくなってしまった。
ある日、ポルトガルはリスボンでバザーイベントが行われた
私もお誘いを受けたので参加をした。
そのイベントのながら、連絡が入る
フランスの投資会議に出ている、未だ良心派と思える方からだった。
本日、Sさんの復帰祝いを兼ねて、ポルトガルの港を全てフランスに変更するイベントが企画されている
さすがにバザーイベントの日に重ねるのは、後付けでも印象が悪い
どうにか止められないかとの連絡だった
私も同意、どうにか止めようと連絡を幾人かにしたのだが
バザーイベントと同日だとは知らなかった、全くの無関係
復帰祝いだから止めれない
祭だから
等々の返事がかえってきた
まつりだから??
まつり?wwww
私は開いた口が塞がらなかった。
私の中の何かが 音を立てて切れた。
商会でポルトガルへの悪口が並べ立てられるのは陰鬱な気持ちになる。
ポルトガルとの敵対は望むところだが、見えないところで悪口を言って気を晴らすのは違うだろうと
あるフランス人から 名前を変えて、今までの交友を切ったと連絡があった。
戻ってきたけど、なんか前のフランスと違うよね?
と復帰した友人は、すぐにいなくなってしまった。
私の商会のポルトガル人2人が、他国へ亡命をした。
一緒に大海戦に出れないので、大海戦の都度ポルトガルの友人にお願いをしていたのだが
そこの艦隊にいたら狩るよとフランスの商会員から軽口を叩かれていたのを目にした。
もちろんその場で注意をしたし、2人ともそれが原因ではないと言ってはいたが。
私と友人は出来るだけ早く大海戦の司会を投げ出したくなった。
後任を決めずして、いなくなるのはさすがにまずい。
ちょっと運営と司会に興味がある方がいたので
これだー!!きたー!!!と2人して上手いこといって投げつけて半隠居した。
ちなみにその卯月さんも3回くらいでリタイアした。
軟弱者!ザコ!なんてことだ!ファ〇キン!と本人に暴言をぶつけたが、大いに仕方がない。
私が最後に参戦したフランス方の大海戦は Hさんが頑張ってはいたし
なんどかはGさんが盛り上げようと出てきてくれたのだが、やはり上手くいかない。
なにせもうフランスに味方はいない。
あんなに盛り上がったフランスの大海戦はないのだ。
私はジェノヴァで草臥れていた。
りんごが、フランスから出ていくなと言う。
ちなみにりんごは 3,4ヶ月に1回体験版でINするだけだ。
通りすがったカンツ君が、ヴェネツィアに来なよと言う。
ちなみにカンツ君は言った直後に休止をした。
フランス外の友人と連絡をした。
好きなようにすればいい
それにフランスを出ればもっと一緒に大海戦やれるね
そうだ、私はフランスを出よう
皆と作り上げたフランスは私が止めを刺そう
この時点で、3位ヴェネツィアと4位イングランド 一時的に順位が入れ替わっていたため
私は先ずヴェネツィアに亡命をした。
チェザーレさんや玄冬さん、Sapemさんエリミネさんからアテネ・ベイルートを頂いた恩もあるし
カンツ君にヴェネに来なよと言われたこともある
1回くらい大海戦の司会を行って、これ恩返し完了とし、イングランドに行こうと思ってはいるのだが
Sapemさんに5年はイロと脅されている(5年もこのゲーム続かないぞげふんげぐん)し
なんとヴェネツッィアが巻き込まれる大海戦が発生しない・・・
仕方がない。
私は毎月毎月ポルトガル側で大海戦に出る。
どんな状況でも私はフランスに負けるわけにはいかないのだ。
皆と私のフランスが死ぬところは私が見ないといけない。
たぶんなかなか死なないけど、そういうところがフランスだなと、
昔を思い返して懐かしくもなる。
Astraios大海戦地獄

Astraiosは、EurosとBoreasの統合で始まった。
Astフランスでは、紆余曲折あったがBoreas人であった私が大海戦の司会者を任されることになった。
Boreasの時点で私と協力してくれていた方たち数名が、チームには入らず、外から見守ることとなった。
Boreas時代のフランス、いやBoreasといサーバー全体の空気か?
味方以外は全部敵みたいな風潮があったのだが
Astraiosになってみたら、なかなかそれは通らない。
そもそもBoreasは特異なサーバーで、力を持っていた国がネーデルラント・ヴェネツィア・フランスという新3国だった。
それも関係しているのかもしれない。
私は郷に入れば郷に従えですんなり入り込めたが、それに違和感を感じた人もいたのかもしれない。
私は切り替え、Eurosuからの協力者数名と 究極の八方美人を目指すという話で一致した。
ただ、これは公言していない。
統合したてのフランスは、序盤のイスパニアとの投資戦で劣勢に立たされ、同盟港が存在しない日が続いた。
イスパニアとは一時休戦停戦の話が一時は持ち上がったのだが
Eosイスパニアの介入により破談、投資戦は激化の道をたどった。
この時点で八方美人になるとは さすがに言いにくい。
相手国をイスパニアに絞り、強気過激な言論やブログで人の目をひきつける。
イスパニア以外の国を味方に引き込むため、積極的に関りを持ち、友好をつなげる。
(この時点でポルトガルはEuros以来の親フランス国家だったので、色々面倒を見てもらったし、ご教示も受けた。
私が親ポルトガルの立場を取るのは、間違いではないと今でも確信している。)
何しろフランスは人が少ない国なので、軍人だろうが冒険家だろうが、とりあえず投資に協力をして
大海戦にもたくさん出てくれる、協力してくれる雰囲気を自然なものに繋げる。
幾ら多くの国の方が協力してくださったとしても、身内から人が出ていないのはお話にならない。
少ないながらも精一杯の動員をしなければならない。
そして 大海戦をとりあえず盛り上げる
Astraios1の大海戦お祭り国家を作り上げなければならない!
とりあえずこんな形で、対イスパニアの形をとりつつ、みんなの人気者になろうという思いで
私たちは活動していた。
大海戦やイベントの前には、寝る間を惜しんで数人がブログを上げ続けた。
その勢いは、フランスからのお便りブログがブログランキング上位を席巻するほどだった。
それにつれてフランス・ポルトガル陣営の参加者もうなぎ上り。
相手がイスパニア・ネーデルラント連盟の大海戦が発生するときは
他5国連合VSイスパニア・ネーデルラント連盟の大海戦のような勢いだった。
フランスに各国から亡命者も増えた。
みんなで弱いフランスを盛り上げよう、楽しい大海戦をやろうと一致団結したかに見えた日々があった。
私は投資にも協力するため、ヴェネツィア・ネーデルラントの投資をなさっている方や、議長さんに接触をし
伊蘭仏投資連盟をくみ上げ、イスパニアに対抗をもした。
ヴェネツィアからは当時の議長さんだったチェザーレさん・他皆さまのご尽力を得て
いつか争いが始まるまでとの抽象的なお約束を頂き、アテネとベイルートの2港を租借させていただくことにもなった。
その日はある時、不意に訪れた。
イスパニアからの投資が止まったのだ。
フランスは地中海を席巻し始めた。
この時点で私は投資のまとめ役をしている Hさんと確認をした。
イスパニアを殺しすぎないと。
Hさんも同意見だった。
南米の港とカリブの数港は残していこうと話だったのだが
同時にイスパニアに対抗していたネーデルラントとヴェネツィアは、各地のイスパニア港に攻撃を始めた。
ここで投資をなさっている方々から、我々だけ投資を止めるのは如何なものかとの声が上がる。
私とHさんでは、その声を制すことは出来なかった。
この時点で、ナポリとシラクサをヴェネツィアが奪取してはどうか?と打診をしたのだが
一度断られている。
それならばとナポリ・シラクサをフランスが占領したのだが
そのすぐ後にヴェネツィアに譲ってくれないかと連絡があり、現状までヴェネツィア旗ととなっている。
この時点でヴェネツィアのとりまとめ役(チェザーレさんから代替わりしている)が親イスパニアの方だったので、
義理を通そうとしたのだろうが
ナポリシラクサはヴェネツィアが投資を頑張っていた港
何故フランスに譲るのかと声が強く上がったのではないかと推測する。
さてはて、この時点でフランスの影響度は3位を伺う4位、現状のままだと大国をも見えてきてしまう。
今後をどうするかを協力者数名と話し合った。
皆、あまり良い感想を持ってはいなかった。
4位とか5位の位置で八方美人を振りまくのが理想だったからだ。
ただフランスが3位に上がると、入れ替わりに下位に落ちるのが当時はポルトガルだった。
1位と2位をネーデルラントとイングランドが争い、フランスが3位に上がるが
下位に落ちていくポルトガルとの連盟は、依然堅固なままである。
この事が私たちの安心感につながった。
まぁ、なんとかなるよ、とりあえず現状を見守ろう。
これが私たちが出した結論だった。
だが、これがなんとなからなかった。
イスパニア港を取り合った後に、投資の行先が無くなってしまったのだ。
ポルトガルが持っている西アフリカの一部の港に対して、投資をしてはダメかとの声が上がった。
私は強く反対した。
この時点で、西アフリカの市長を常に狙いたいTさんがフランスからポルトガルへ亡命をした。
ポルトガルからならば西アフリカ市長投資に遠慮することがないからだ。
投資の行先がないとの声は常に常に上がり続けた。
ある時、それならば ポルトガル港がしばらくネーデルラント港に成り代わっている時にならば
フランスが攻撃をしてもいいのではないか?との意見が出た。
この時点でネーデルラントが一番力を持っており、西アフリカのフランスポルトガル港は
しばしネーデルラントの攻撃を受けていのだ。
私は、これ以上声が抑えられないと思い、その状況下ならばと受け入れた。
この時点で、ポルトガルは著しく力を落としており、外洋同盟港の維持をするのが難しくなっているのも現実だった。
ただイベリア各地はギリギリで維持をしており
時々は余力をもって、フランス港になっている 西アフリカ奪取に向けての投資も行われた。
これは大きな問題か?
旧同盟港に対する投資を行ってはいけないのか?
フランスとポルトガルが友邦であったとしても、いや友邦であるからこそ、ここは認めなければいけないところなのでは?
私は、ポルトガルからの旧領回復の投資を仕方がないと割り切っていた。
友邦だからこそ、いつかは譲ってもいいのではないかと考えていた。
ただ、一部のフランスで投資を行っている人物達からは
この投資に対して、攻撃だという声が上がった。
攻撃に対して報復をすると声が上がった。
報復?
私は、この言葉を使用したことがない。
大きな違和感が持ち上がった。
その場その場で、今回は許してほしい、仕方がないと受け止めてほしいと発していたのだが
私の言葉は通じない。
一時的に受け入れてもらっても、次の機会にもまた同じことがある、繰り返す。
環境も少し変わった。
いつまでも同じメンバーでゲームは続けられない。
私の周りの協力者達も数人が去っていった。
少ない人数で頑張っているのが、少しお互いに疲れてきた。
また、ほかの国からフランスに来る方が多くなった。
劣勢だった頃、人数が少なかった頃には大歓迎だったのだが
勝ち馬にのる、投資をしたい、攻撃したい、そのような思惑を持っている方が多いのでは?と辟易してしまう自分がいた。
私も仕事が忙しくなってきており、INの頻度が減りだしたのもこの頃だった。
仕事が忙しいという理由で、遠ざかりたかったのもある。
たまにINすると、非常に状況が激変している。
これは私の身近にもあった。
私の商会の英国人がフランス国籍になっていた
フランスになりましたー!とアピールされたのだが、
私は商会にフランス色を出来るだけ持ち込みたくない主義。
あ、そう。と冷たく返事をした。
がっかりした。
そして、またしばらくINの頻度が減ると
私の商会のフランス人の多くが、投資会議に参加するようになっていた。
またまたまたまた 大いにがっかりした。
私の友人たちを今のフランスに巻き込まないでほしい。
私は代わりに投資会議に出るのを止めた。
ただ、大海戦の司会だけは変わらずに続けた。
皆と協力をして続けてきたものだ、今更やめられない。
ただ疲れもあり、ブログも以前のように書けなくなった。
精神的な疲れが大きかった。
前よりも大海戦が面白くなくなった。
このあたりで、再びポルトガルが力を取り戻してきた。
ネーデルラントが、急激に力を落とし、下位に急落した。
その代わりに外洋の旧領を取り戻したポルトガルが、西アフリカ奪還に動き始めたのは自然な流れ。
フランスとポルトガルが投資でぶつかる時がいよいよ来てしまったのだ。
ここで私は召還を受けた。
この時点では、まだ、フランスの投資を行っているメンバーの中に
ポルトガルと投資戦を行わないという理性があったのだと思う。
どうにかしてポルトガルと話を付けれないかとの要件だった。
そういうことならばと私は引き受けた。
まずボストン・シスコの投資が激化していたので、これを止めてもらった。
出来ればその2港はフランスに譲ってほしいとの話を持ち掛ける。
その代わりに西アフリカをいくつか返却するのでダメだろうか?
この話し合いの最中に、ブルネイにフランスの投資が入ったとの連絡がある。
投資を行ったのはHさんの裏キャラだったとの噂もはいる。
ここは正直、ポルトガルに目を瞑っていただきたい箇所であった。
ここでHさんはブルネイに投資を行っていない。と私は確信している。
私の思い込みでしかないが、この時点でポルトガルとフランスを争わせたい第三者がいた。
私には常に善人ぶりながら、口の端々に私とポルトガルが嫌いなことが垣間見える人物だった。
フランス人の投資家の幾人かも抱え込み、時々交易品やお金を「頑張って。負けないで」と援助していた。
私がいつも「嫌な奴」と話しても「そうでもないよ?交易品くれたよ」と返事が返ってきたので
どんなに嫌な人間かを力説することは出来なかった
いや、力説した時もあったw
話は元に戻すが、その方がブルネイにHさん裏キャラ偽物で、投資をしたのではないかと 私は未だに思っている。
それに例えフランス人の手で投資が行われようと、こういう時点で止まらない時もある。
声は全員に伝わらないし、染み渡らない。
細かい面は目を瞑って、出来るだけ進歩的な話し合いを継続したかった。
ただポルトガル側からは不信の声が伝わり、それを不満に思うフランス側は暴発した。
私は開いた口が塞がらず、しばらく呆然としていた。
投資は様変わりしている。
シスコ南蛮である程度のお金は誰もが手に入る世界になってしまった。
また課金ロットのアイテムや鍛錬具箱が貨幣代わりになっており、その気になれば動かずしてお金が作れる。
私が必死に換金して集めていた鍛錬具も、いずれ値下がりするのだろうなと悲しくなった。
お金の力は下がる、ただその力は以前よりも猛威を振るうようになる。
フランスとポルトガルの投資戦は、瞬く間に世界を二分する争いになってしまった。
しかし、私はまだフランスを愛していた。
ただ、多くの協力者や友人は去り、たまに話してもどうしてこうなった、滅びを見つめよう等と退廃的な話を多くするようになった。
話した後、たいていその人はいなくなってしまった。
ある日、ポルトガルはリスボンでバザーイベントが行われた
私もお誘いを受けたので参加をした。
そのイベントのながら、連絡が入る
フランスの投資会議に出ている、未だ良心派と思える方からだった。
本日、Sさんの復帰祝いを兼ねて、ポルトガルの港を全てフランスに変更するイベントが企画されている
さすがにバザーイベントの日に重ねるのは、後付けでも印象が悪い
どうにか止められないかとの連絡だった
私も同意、どうにか止めようと連絡を幾人かにしたのだが
バザーイベントと同日だとは知らなかった、全くの無関係
復帰祝いだから止めれない
祭だから
等々の返事がかえってきた
まつりだから??
まつり?wwww
私は開いた口が塞がらなかった。
私の中の何かが 音を立てて切れた。
商会でポルトガルへの悪口が並べ立てられるのは陰鬱な気持ちになる。
ポルトガルとの敵対は望むところだが、見えないところで悪口を言って気を晴らすのは違うだろうと
あるフランス人から 名前を変えて、今までの交友を切ったと連絡があった。
戻ってきたけど、なんか前のフランスと違うよね?
と復帰した友人は、すぐにいなくなってしまった。
私の商会のポルトガル人2人が、他国へ亡命をした。
一緒に大海戦に出れないので、大海戦の都度ポルトガルの友人にお願いをしていたのだが
そこの艦隊にいたら狩るよとフランスの商会員から軽口を叩かれていたのを目にした。
もちろんその場で注意をしたし、2人ともそれが原因ではないと言ってはいたが。
私と友人は出来るだけ早く大海戦の司会を投げ出したくなった。
後任を決めずして、いなくなるのはさすがにまずい。
ちょっと運営と司会に興味がある方がいたので
これだー!!きたー!!!と2人して上手いこといって投げつけて半隠居した。
ちなみにその卯月さんも3回くらいでリタイアした。
軟弱者!ザコ!なんてことだ!ファ〇キン!と本人に暴言をぶつけたが、大いに仕方がない。
私が最後に参戦したフランス方の大海戦は Hさんが頑張ってはいたし
なんどかはGさんが盛り上げようと出てきてくれたのだが、やはり上手くいかない。
なにせもうフランスに味方はいない。
あんなに盛り上がったフランスの大海戦はないのだ。
私はジェノヴァで草臥れていた。
りんごが、フランスから出ていくなと言う。
ちなみにりんごは 3,4ヶ月に1回体験版でINするだけだ。
通りすがったカンツ君が、ヴェネツィアに来なよと言う。
ちなみにカンツ君は言った直後に休止をした。
フランス外の友人と連絡をした。
好きなようにすればいい
それにフランスを出ればもっと一緒に大海戦やれるね
そうだ、私はフランスを出よう
皆と作り上げたフランスは私が止めを刺そう
この時点で、3位ヴェネツィアと4位イングランド 一時的に順位が入れ替わっていたため
私は先ずヴェネツィアに亡命をした。
チェザーレさんや玄冬さん、Sapemさんエリミネさんからアテネ・ベイルートを頂いた恩もあるし
カンツ君にヴェネに来なよと言われたこともある
1回くらい大海戦の司会を行って、これ恩返し完了とし、イングランドに行こうと思ってはいるのだが
Sapemさんに5年はイロと脅されている(5年もこのゲーム続かないぞげふんげぐん)し
なんとヴェネツッィアが巻き込まれる大海戦が発生しない・・・
仕方がない。
私は毎月毎月ポルトガル側で大海戦に出る。
どんな状況でも私はフランスに負けるわけにはいかないのだ。
皆と私のフランスが死ぬところは私が見ないといけない。
たぶんなかなか死なないけど、そういうところがフランスだなと、
昔を思い返して懐かしくもなる。
Astraios大海戦地獄

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