2022年01月20日 18:03
「「クノッソス宮殿は知ってるか?」
私の所持金は文化投資と、その後の料理作成でほぼ底が尽きかけていた
「クレタ文明の遺跡でしょ? カンディアの奥地にある」
イライラしながらも、このくらいの情報はスラスラ出てくる。
知識と情報は金也、これ武器商人の鉄則。
「話は速いな、そうだ、クライアントからの依頼はクノッサス宮殿の調査だ」
お金さえあれば、こんな場末のギルドの依頼なんて受けることもなかったのに。
ヴェネツィアに戻り、何か大口の仕事はないかと探ってはみたのだけど
なんでか知らんが新しい制度でカピターノの資格が簡単に取得できるようになったとか?
ヴェネツィアにとってカピターノは由緒正しい国家大船団の船長の資格
こんな簡単にカピターノになれちゃって良いのか?よ?
私は実際交易ギルドノマスターに散々文句を吐いたのだけれども
いわゆる私はヴェネツィアの雇われ外国人、ただの便利屋
何を言っても始まらないし通らない。
その大量量産された新米のカピタン達に率いられた大船団は、
私が受けるような美味しい仕事を根こそぎ奪いつくし、地中海各地各港に散らばっていった後だった。
おのれ、オスマントルコに拿捕されてしまえ!
ハイレディンに追われてナイル川に追い詰められろ!
ジブラルタル海峡を封鎖されて死ね!
散々罵倒し尽くして、息も絶え絶えの私に軽蔑の視線を向けながら
『アテネの戦闘ギルドにお前向けの仕事がある、さっさと行かないとこれもカピターノに回すぞ』ときたものだ。
ふー。
「何をしに? 遺跡探索や盗掘はお門違いだぞ、それにもう枯れた遺跡でしょ」
「・・・いるらしいんだ」
吐き出すように出てきた言葉に寒気を感じる。
「何が?」
背中に寒イボが立ってはいたが、それを悟られぬように言葉を返す。
「ミノタウロス」
「は?」
ミノタウロスと言ったか。
クレタの王ミノスがポセイドンを謀ったことにより神罰をうけ、彼の妻は雄牛と交わり牛頭人身の怪物を産んだ。
それがミノタウロス。
彼?奴?は人を食すようになり、手に負えなくなったミノス王はラビュリントスを築き、それを封じた。
封じられたのがミノタウロス。
当時大国だったクレタはミノタウロスが食す人間を生贄としてアテネに要求し
それを断つためにアテネの英雄テセウスが派遣されたのだった。
そのテセウスに倒されたミノタウロス?
意味がわからない。
「は?」
全く意味がわからない。
「お前さん、経歴書にウィザードリィシリーズの総プレイ時間が2000時間以上と書いてあるが・・・」
ウィザードリー。
アメリカで生まれた3DダンジョンRPGで、日本のRPG全ての父である。
ファミコンでもプレイはしたが、私の中心はゲームボーイだった。
私のゲームボーイの画面はウィードリィのダンジョン焼けをしており、友達には大きく不評だった。
特に外伝1・2はストーリーやドリル、コレクター要素も大きく練られいていて寝る間も惜しんでプレーをした。
何度も何度も何度も転職を重ねたメインパーティのレベルは3000を超えていた気がする。
だけど!
それとこれとは。
「ちょっと待って、ウィザードリーの総時間が何の関係がある?」
関係なくないか?
「それだけダンジョンに造詣が深いと判断されたんだろ。それにあんた前金を受け取っているよな?」
私は武器商人、後金で仕事はしない主義。
正直、この金を返したら私と私の船は維持できない。
とうざをしのぐために、そして副官船員の給金に、今後の仕事の資金に。
ギルドマスターは手元の羊皮紙に目を落とし。
「・・・結構な金額だ」
ぼそっと吐き出す。
汚い天井を見上げる。
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10。
天板の染みを10まで数えて、やっと言葉を絞り出す。
「で、どうすれば?」
「クノッサス宮殿まで行ってくれ。あんたの他に今回のパーティが待機しているはずだ」
今回の?初めてじゃないってことか。
「何人死んでる?」
ギルドマスターの目を覗き込む。
「ヴェネツィアの数奇者がパトロンの発掘チームが襲われて20人。討伐チームが組まれること6回で、25人」
彼は視線を逸らさずに一気に吐き出した。
「私は7回目?」
「そうだ、45人が死んだ。死体は喰われているらしい」
震える声。
目を瞑り、そして顔を背けた。
「何人かは逃げのび、生き残りはいる、必ず死ぬわけではない」
そんな青白い顔で慰めているつもりか。
ふん。面白くはない。
私はその言葉に背中を向け、ギルドを後にした。
その日のうちに準備を整え、夜半にアテネを出港する。
カンディアまでは200マイルほど、1日でこぼこもあれば到着するだろう。
エーゲ海の穏やかな波に揺られて、普段ならばすぐに眠りにつけるのだが。
さすがにそう図太い神経はしていない。
以前にバレンシアで処方された睡眠薬をラム酒で無理やり流し込み、意識を無理やりに遮断しようと試みる。
それにしても、むしゃくしゃする。
一口、二口のつもりが、つもりでは治まらなかったようだ。
私は瓶を放り投げ。
放り投げ?
放り投げた記憶はあるんだが。
とりあえず睡眠薬とラム酒のコンボにより意識の遮断にはどうやら成功したようだ。
ただその弊害として、ひどい頭痛とともに私はカンディアに在った。
「10日、10日以内に戻らなかったら牛野郎に食われたと思っていい」
私の副官が、こんなにも神妙な顔つきが出来るとは。
新しい発見だ。
「戻らなかった場合は、この900万ドゥカートと船の売却益で船団を解散させてしまって」
「これは成功報酬なのでは?船長が死んだら取り立てが来るかもしれなくない?」
これは盲点だ。請負主が死んだ後の前金クエストってどうなっているのだろうか?
「1000万ドゥカートだよ?使い込んじゃってるから900万じゃ足りないし」
「それくらい船を売れば大丈夫っしょ」
「だから私たちの退職金とかどうにもならなくなるでしょ?どうすんの?一生クレタ島で暮らすの?牛野郎出てきたらどうすんだよ!」
ものすごい剣幕で怒られる。まじまじと見つめると眉間に細かい皺が何本も寄っている。
これは怒りだけではないはず。
どれくらい一緒にいたんだろう、お互い歳は取るものだ。
「そうだよね、アフリカとかオセアニアで捨てた船員はどうなっているのかに近い問題があるよね」
「そういうこと、だから私も行くから」
結局私は2頭の馬をカンディアで用立てて、簡単な準備をし、クノッソス宮殿へ向かった。
カンディアの門を出るとすぐクノッソス宮殿はすぐ目に入るようになる。
港町から6マイルと離れていないはず、こんなに町から近いのか。
先ほどの『牛野郎が出てきたらどうすんだよ!』の言葉を思い出し、『ぶっ』と少し噴き出す。
不謹慎だが、本当に牛野郎が出てきたらどうするつもりなんだと少し面白くなる。
クノッサスは意外にも巨大な遺跡だ。
街の遺構の真ん中に、大きな土台があり、その上に宮殿のようなものが聳え立っている。
待ち合わせはきっとあそこだろうなと目星をつけ、かつて街の馬繋場であったろう箇所に馬を繋いだ。
「まだ結構距離があるし、もう少し馬でいかない?」
「だって君は牛野郎が外に出て来たらどうすんだって言ったじゃん。
近くだと入れ違いで出てきた牛野郎に馬を喰われたらどうしようと思ってさ」
「いや、牛は馬は食べないでしょ」
そうかもしれないが、何が起こるかは分からないし。
それにこれから組むパーティメンバーの素性さえも分からない。
万が一敗走にでも陥った時に、馬を奪われる可能性を考慮した。
「人を喰らうって言うしさ、肉だったら何でもいいのかもしれない。念のため」
渋々後をついてくる彼女をお供に、宮殿跡らしき建築物に足を運ぶ。
クノッサス宮殿とやらは、ローマやギリシャあたりでよく見かける宮殿とは趣が違っている。
柱が何本も直立して屋根を支えているのではなく、建造物としてより文化的
クレタのミノス王はアテネから生贄を徴収していたというし、天災によって失われてしまったとあるが
より栄えている文明だったのだろうな。
階段を一歩一歩踏みしめながら、そんなことを考える
「ひーひー・・・考える気力はない」
「はー・・・何か言いました?」
「なんにも」
漸く吐き出した音は、かすれきって意味をなしていなかった。
階段の勾配がきついし、そして段数が多い。
普段運動をしない私には大きく堪える。
「はー。上に人がいますよ」
「うん」
それくらいは私にもわかる。
何人かがいる、そしてこちらを伺っている気配がある。
最初から格好悪いところは見せるわけにはいかないでしょう。
大きく息を吸い、吐き出して、息を整え。
「行こうか」
こんどはきちんと意味のある声が出た。
そう言ってから、階段を5段踏みしめた。
頂上は幾分かのスペースがあり、奥に宮殿らしきものが暗い口を開けている。
スペースを囲っていたであろう柱の多くは朽ち果てており、カンディアの街、エーゲ海、そして北の山々。
をパノラマのように一望できる。
非常に気持ちの良い場所だ。
バカと煙と権力者は高い場所を好むと言うが、満更ではない。
さて景色と感慨から目を背けると、そこには10に満たない程度の人間が中座していた。
今回のパーティと、その従者であろうか。
1人は女性、その鋭利な佇まいは私の商売相手が放つ雰囲気に似ている。
そう彼女は軍人だ。
1人は恰幅の良い風体。
とは、とても言えない、筋肉と脂肪に包まれた禍々しい巨体である。
しかしそれに似合わず柔和な佇まいに、冗談のような天使の輪っかが浮かんでいる。
このユルキャラのような雰囲気に騙されてはいけない、これは搾取する側の存在だ。
つまるところの坊主、聖職者というやつだ。
もう1人はトナカイの角を生やし、小汚いつなぎを身にまとっている。
この人物だけは良く判断がつかない。
そうだな通称用務員と呼ぼう。
最後の1人はフードをまとい、頭巾をかかぶった小柄の女性。
学者っぽい様相なのだが、少し怪しげな部分がある。
「学者さん?」
「ノン、アルケミスト」
つっけんどんな返答
なるほど、どうりで怪しげな雰囲気を纏っているはず、錬金術師と呼ばれる、そしてそう自称する山師だ。
「全員揃いました」
どうやらこの山師が、今回のパーティのリーダー。
スポンサーの意向と命を受けている者らしい。
「…感じ悪い」
副官がボソッと呟く、ただ彼女は性格が悪く、人に聞こえる音を出す性質がある。
「私はオルセオロ家の意向を受けています。
ですからヴェネツィアから派遣された貴方方の今後の心証に大きな支障をもたらす報告をしないといけなくなります。
それでも宜しければ、ここで仕事を降りて頂いても構いません
ただし、受け取っている前金は残らず返して頂きますが、それでよろしい?」
剣呑な目つきをしている副官の前を遮り
「いえ、私の流儀で前金は受け取るということは仕事を必ず遂行するという事です。
そして任務の成功ともに、心証の上書きと報告をお願いしたい」
ハットを取り、深く腰を折る。
その後ろから、今度は私にだけ聞こえる声で『ザコ』という音が聞こえたが、耳に入らない振りをした。
「あなたはミノタウロスを見たの?」
尋ねたのは軍人の彼女。
そう、まずはミノタウロスがいるのか?その存在が確かにクエスチョンだ。
ミノス王の時代は、まぁ、伝説ではあり、その存在が疑われるが、3000年以上前。
更にその時代に英雄に討たれたときている。
ミノタウロスに懸想した何処かのバカか野盗が変装している可能性だってあるじゃないか、いやその方が現実的。
何処かの怪物や伝説を騙る悪党の話は、世界中に溢れている。
「私はお嬢様の命を受け、クノッソス宮殿の再調査を行っていました」
「つまりあんたはあのヴィットーリアのサロンのメンバーってことか」
用務員が口を挟む。
「ええ。宮殿の床下に空洞があることは、建造物の構造上明らかでした。調査はその空洞を探ることが目的でした」
彼女の視線は、口を開ける建物の入り口を指していた。
「あの宮殿は何を祭っているのですか?」
聖職者としてはどのような回答が望ましいのだろうか?
宇宙で唯一正統な王者である神とでも答えてほしいのだろうか?
「クレタの神は確かではありません。ただ所々に牛のオブジェ、牛頭が飾られてはいます」
宮殿の入り口の上部上には色鮮やかなイルカのフレスコ画が掲げられている。
「イルカが神だったらいいのにね、イルカは可愛いし、ラッキーの化身だし」
そう副官がアホな事を呟くが、満更バカにも出来ない。確かに航海中のイルカは、船と船員に幸運をもたらすし、潮風と不味い食事と今後の商売の算段等に乱れた心を癒してくれる、いやちょっとだけだけど。
そんなんだから私はフレスコ画のイルカに少しだけ祈ってみた。
「揃ったばかりですが、そろそろ参りましょう。まずはその道の専門家であるあなた方に、奴の倒しかたを探っていただきたい」
油の染み込んだ枝が先端にくくりつけてある棒を焚き火にくぐらせて、女軍人が腰をあげる
「いきなり倒せとは言わないのね」
「ええ、それで何度か失敗しているようですので。こちらです」
アルケミストは闇を潜り、室内を先導する
松明の灯りに揺れる祠の内部は、様々な彩りの壁画に囲まれていた
これは、そう、牛頭の怪人…ミノタウロスか。そしてアリアドネとテセウスらしき人物の冒険譚を描いた物。
「クレタにとって、アリアドネは裏切り者だし、テセウスは従属国の間諜でしょ。それなのに英雄譚を壁画に描くのはおかしくない?」
「ええ、私たちもそう感じていました。これはクレタにとっても災厄だったものに違いないと。神話と現実は違ったニュアンスで伝わっているのです」
「ギリシャ神話の神はギリシャの人々の創作にしかすぎません。物語を真剣に現実として語るのは神への冒涜ですよ」
坊主は真剣に語る。何しろ神は彼等の重要な飯の種、商売仇は次々に焼き尽くして今のC教は成り立ってきたのだ。今回の件も邪教討つべし程度の認識で派遣されてきたのだろう。
「これを、橫に引いてくださる」
アルケミストが巨大な牛の彫像を指差した
「牛の角を取っ手にして、東の方向へ」
言われるがままに用務員が牛の角を掴み、そして力を込める
少しずつだが牛は擦れ、大理石の床から空間が現れ始めた
「何度も立ち入られた遺跡でしょう。なのに何故この下階への入り口は見付からなかったの?」
「なかったんです。この牛の彫像は確かに固定しされていて、下階への入り口などなかった」
牛の彫像の下には下階へと続く階段が現れ始める
「あの時、牛の彫像が突然動き、そこに下階が現れたのです」
フードと光量の不足により、彼女の顔色は伺えないが、その震える声から察すると蒼白に違いない。
それを察したか、または知らずして、用務員が先ず先にへと階段を下る。
案内役のアルケミストが続き、私達は最後
ガンバレルに弾薬を詰め込み、点火薬を込みつつ歩みを辿る
私の前を歩く坊主は巨大なハルバードを担ぎ、用務員は柄物のモップか短銃かを迷った上でモップを握りしめ
軍人は銃口を右斜め前の空間に向け警戒を怠らない、握るは英国正式採用のブラウンベスだ。
階段を降りると、10フィート程、天井に余裕のある空間が拡がっていた。
それはただの空間ではなく、幾つもの部屋が連なる、そう迷宮のようなもの
この地では、そして物語として音に聞くラビュリントスそのものが存在していたのだ
「このフロアーを名目上は地下1階と呼称しています」
ラビュリントスは完全な漆黒ではなかった
大理石らしきもので作られた内壁は何故かうっすらと光を発している
視界はそう遠くないが、松明が無くても支障がない程度
「地下は何階まであるの?」
「私たちが確認出来ているのは地下3階まで。こちらです…」
地下3階まで。までという事は、そこに例のモノがいるのだろう。
下階に続く階段までの道程は多少複雑だが、アルケミスト達研究者によって壁に矢印が記されていた。これならば万が一敗走となっても道に迷う恐れは少ないだろう、そんな事を考えながら、一回、二回と階段を下る。
「止まってください」
小声だが鋭い声、最後の一段の手前でアルケミストが我々の歩みを制した。
声が指す先には左手に折れる通路が広がり、通路の先からは人工の光量が漏れている
そして人が発するような言語らしきものと、おぞましきうなり声が悪臭とともに流れでる
その音は広くくぐもり、その先には大きな空間が拡がっていることを想像させた
軍人が腰を落としたまま音を立てずに通路を進み、斥候を務める
空間の方を覗き、やがて手招きをした
私たちは彼女の動きを真似て、そっと歩みを辿る
視線の先は500フィート四方×15フィートはあろうか、天井は通路よりも遥かに高く。
巨大な空間となっていた。
光源は壁一面に掲げられておる松明と、そして中央にある巨大な焚火から発せられているのであろう
火の揺らめきで空間の調度品や、中にいるモノ達の姿が揺れる。
そう、中にいるモノ達、複数だ。
焚火を前にして、我々に背を向けている一際巨大な者、あれがミノタウロスであろうか。
確かに角が生えているし、
それに地べたに座り込んでいる態勢でありながら7フィート(角抜きで)は優にありそう。
あれを人間が擬態しているのは少し無理があるな、私は少し前に思った悪党が擬態している説を破棄した。
そしてそのミノタウロスが周りに侍らしているのが
「人間?人間がいるの?」
私は首を引っ込めて、小声でアルケミストに確認をした。
「人間と言えるのでしょうか。私たちはクレタ戦士の亡霊と呼んでいます」
確かにローマか、それ以前の戦士の風体をイメージするとあんな感じなんだろうが、どう見てもコスプレ戦士だ。
それを「亡霊?」何を言っているんだと怪訝な表情をしている私たちに
「私も、私たちも最初は人だと思っていました、後にわかるはずです」
勿体ぶりやがって。
とりあえず疑問や怪訝は捨て置いた
何しろこのパーティの面子は、
いざとなったら人間の10人や20人をまとめて殺すことも厭わない連中であろう。
ミノタウロスを殺しに来たのに人間もいるがどうするんだという怪訝な表情に
亡霊だからどうしても良いという回答が来たというだけだ。
更に観察を続ける。
乳白色の煉瓦で組み込まれた両壁の中央には巨大な牛頭のオブジェが飾られており、揺れる焔の欠片に揺れる。
その両側には、巨大なこん棒や斧が武器庫の如く陳列している。
いずれも10フィートは超えそうな得物だ、アレでぶっ叩かれたら頭がすっ飛ぶな。
私がそんな馬鹿な事を想像していたのがいけないかもしれないから、内緒にしておこう。
上体を揺らしながら何かに夢中になっていた牛頭が突如私達の方へ振り返ったのだ。
牛頭は疑問に思った表情で、いや、ミノタウロスの牛顔から正確な表情を読み取ることなぞ適わないので
私がそう思っただけなのだが、不可解そうな表情をしていた気がした。
そんな表情で「モキュ?」と、そのグロテスクさからは想像できない可愛いらしい鳴き声が発せられた。
我々の表情も「モキュ?」であっただろうと思われる、実際どうしたらいいものか、今から攻撃に移った方がいいのか
数舜の間両陣営の時間が止まった。
それを切り裂いたのはミノタウロスこと、牛男が我々に向かって投げ込んだ物体だった。
何かが高速で投げ入れられるのを察した私たちは咄嗟に合間を開けた。
ひょっとしたら親愛のプレゼントかもしれないと一抹の期待を込めて投げ込まれたものをチラ見すると
それは 紛うこと無き人の腕。
噛みちぎられた跡が生々しい、人を食すのは本当なのだなと我々が心の中で認識を一致させたとき
「キャッ」と悲鳴を上げて倒れたのがアルケミストだった。
なかなかこういう耐性はないか。
私はフォアグリップを掴み、凡そ適当な1発を撃ちながら
「彼女を外へ」
副官と彼女の従者がアルケミストを引きずっていくのを尻目に、再び弾薬を詰め込む。
だいたいの感じで放った弾丸は運よく亡霊の右肩を抉る。
よろめいた亡霊の頭を軍人が狙いすまして撃ちぬいた。
倒れ込む亡霊。
いける。
それを確認して、坊主と用務員、そして従者各員が得物を振りかぶり雄たけびを上げながら突入する。
私と軍人は銃を構えつつ左右に散った。
亡霊の数は残り9人、いやたった今用務員のホームランが1人の頭をかっ飛ばし、坊主のハルバードが胴体を薙ぎ払ったので
残りは7人か。
今度は狙いをつけて従者の一人に対峙している亡霊の首筋に叩き込む。
それと同時に私に向かって槍状のものを投げかけた亡霊の手首が粉砕された
「ハーイ」と片手を挙げて、感謝の意を示したが軍人は無表情で再度弾薬を詰めている。
手首がはじけ飛んで蹲った亡霊は、軍人の従者がサーブルで刈り取ったのだが、その直後亡霊の死体は露と消えた。
よく見ると亡霊の死体らしきものは何一つ残ってない、死人に口なしどころではない。
なるほど、これが亡霊の由縁か。
『もっきゅっきゅ』
大地を揺るがす雄たけびを上げ、ついに本命登場、牛男ことミノタウロスが巨大な斧を両手で構え坊主と対峙する
坊主が握るハルバードも柄を含めると7フィート近くはある大得物。
そして彼自身も聖職者とはとても思えないくらい横にも縦にも蔓延る巨体、このような仕事以外では全く関わりたくない怪物だ。
が、それが見劣るくらい、その彼が見上げる位の大男、いやモンスター、それがミノタウロスだった。
この空間に立ち込める悪臭は、血の匂い、死臭、饐えた匂い、様々な成分を含んではいたが
今は判る。
ミノタウロスが、その雰囲気とともに放つ人を圧倒させる獣の匂いであった。
ミノタウロスが放つありとあらゆる邪気、そしてその身の毛もよだつ雄たけびは
一瞬にして私の頭を真っ白にさせる。
しかし、そこは聖職者の面目躍如
坊主が「ぬおー」と気合一閃挑みかかった。
彼が渾身の掛け声とともに振り下ろしたハルバート
交錯する牛男は片手に持ち替えた斧で軽々と支える。
坊主の禿頭に青々しい血管が苦悶の表情とともに浮かび上がる。
「チャンス」
私は口に出すことで、縮こまった心と身体に説得を試みる。
染み付いた射撃の動作はそれに応じてくれたようで、ミノタウロスの側頭部を狙いトリガーを引く。
同時に響く撃鉄の音。
しかし。
どんより思い空気を切り裂いた2弾は陶器を弾くかのような音を響かせた後、跳弾となり地面と壁を抉った。
あんぐり口を開ける私を見ながら
「角だ、角で弾かれた」
軍人が叫ぶ、まさか弾丸が見えるのか。
『もきゅー』
怒号が籠った一声で、斧は振り回され、坊主が絵物語のように壁まで吹き飛ぶ。
その怒りは収まらないようで、その頭を天井に向けて大きく上下に揺さぶり。
巨大な両角が天井にあたり、埃や巨石が激しく飛び散り、視界を悪くさせる。
「逃げるぞ」
用務員が激しくせき込む坊主に手を貸すのが見えた。
お気に入りのモスグリーンのハットが背中の方向に飛び去って行くのに気付くも、それを手で抑える時間が惜しい。
私は後ろと全てを振り向かずに、もつれる足を無理やりに回転させ一目散に走った。
矢印を気にする余裕もない、階段の20や30を駆け登った気がする。
途中で私を抜かした軍人が、指先で指図を流しながら先導して駆ける。
光が見える。
私はそこに向かって倒れ込んだ。
走っている途中に呼吸をした記憶がないくらい、私は外の空気を大きく吸込み、そして咳き込む。
「ゲホッゲホッ」と踏みつぶした蛙が発するような音を発しながら、顔に張り付く幾筋もの銀髪を
ようやく気にする余裕が出来た。
髪を手で振り払いながら
「私は生きてる」
思わず口から出た言葉は正直に自己愛であった。
「船長はすでに死んでいます、ようこそ地獄へ」
そう言いながら私の手首を引き起こし、抱きかかえるのは副官だ。
「そこに倒れ込むと邪魔」
その行為は親切や敬愛からでは決してなく、階下からは足音が近づいていた。
両足に力が入らない。
私は抱きかかえられたまま、祠の外に出た。
陽は沈み、既に夜の世界を迎えていたが、迷宮の薄明りよりはよっぽどまし。
私は仰向けに倒れ込み、外の世界と空気を堪能した。
ただ鼻の奥にこびり付く牛男の臭気が時に混ざり込み不快な気持ちは続く。
先に抜け出していた軍人は、寝かされているアルケミストの容態を確認しているようだった。
「はーはーはー、親切ね」
未だ声にもならないスレスレのところ、止せば良いのに私の口からは嫌みが漏れている。
「スポンサーだからな、大丈夫だ、気を失っているだけだ」
呑気なものだ。
やがて、私に続いて出てきた人数はひーふーみーよー、用務員と2人に引きずられるような坊主を入れたら5人
先に抜け出したアルケミストと2人
私と軍人
あわせて10人、とりあえず全員生存はしている。
「重そうね」
私の顔をギロッと睨み込むも、すぐ様顔を項垂れる。
福々として顔が嘘のように血の気が薄い。
どうやら坊主の状態は良くないらしい、あれは確実に100フィート以上は吹っ飛んだものな。
「食われるわけにはいかないからな、こいつを食われたらミノタウロスに聖なる力が宿るかもしれん」
そう用務員が嘯く。
俗物にそんな力はないだろうが、食料の供給を絶つのは正解だったと思う。
だが。
再び行くのか。
私と軍人と先に抜け出した3人(1人は気絶しているが)は良いものの、残り4人は満身創痍。
さらに坊主は死にそうと来ている、アーメン、祈りの言葉は覚えているだろうか。
何せ、こちとら最近の死人はだいたい海葬。
葬るといえば聞こえは良いが、たいてい海に落ちて死亡認識しているだけだったりする。
亡霊は恐らく粗方倒しつくしたであろう。
ただあの怪物、ミノタウロスはほとんど無傷のはず。
10人やそこらで倒しきれるもんじゃないぞ、アレを倒すには軍隊が必要だ。
「うわ」
副官が呟く。
声の方向。
皆の顔が寝かされているアルケミストを向く。
「うわ」×7
全員が全員、瀕死の坊主以外全員が同じ言葉を放つ。
寝かされているはずのアルケミストが空中に浮かんでいた、淡いグラスグリーンの光に包まれて。
その耳がにょきっと笹の葉のように伸びる。
漆黒だった髪は光を放ち、金色のように見えた。
トルマリン色の瞳が私たち9人を射抜く。
「この人間の身体が一番魔力の要素が高かったの、お借りします」
「エルフ・・・?」
いかにもリアリスト風の顔から似合わない言葉が軍人から漏れた。
たしかに英国は物語の国、エルフも近しい存在なのだろう。
私も同じ感想を覚えていた、そう目の前に浮かんでいるのは確かに森の妖精だ。
「今の人間がエルフなんて存じているのね、遠からずも近からず、私はハイエルフ、この地の調停に遣わされました」
「この地の調停?」
ミノタウロスがいるんだったら、エルフも存在して然るべきだろうの精神か、さほど動揺を見せずに用務員が質問を返した。
「ええ。
この島は且つてマーモと呼ばれていました。
地の底には暗黒の女神カーディスの亡骸が封されており、死して尚、暗黒の波動を放っているの。
その波動に当てられて、彼女の眷属が定期的に甦る。
今がちょうどその時期。
人間たちに力を貸すべく、私が遣わされたの。
今度はあなた方がロードスの平和のために立ち上がった」
宙に浮きながら恍惚とした表情で右斜め45度の何もない方空間を向きハイになっているハイエルフになったアルケミスト
(以後ハイエルフと呼称)
を死んだ魚の目で見つめる私たちパーティ。
マーモ・・・カーディス・・・ロードスの平和・・・何のこっちゃいな。
とりあえず思考を止めることにした。
「か、神は・・・唯一神のみ・・・」
息も絶え絶えながら、坊主がハイエルフに対して説法を説こうとする。
「あら。瀕死のボブゴブリンを捕虜にしたのかしらと思ったら、人なのね、良いわ、今具合を良くしてあげます
水の精霊、清らかなる乙女……」
ハイエルフがそう唱えると、確かに見えた。
水と現実の狭間にユラユラと虹のように揺れる小人?妖精?
倒れこんだ坊主の身体の周りを、そして私たちの頭上を水の流れに身を任せるかのように漂い始める。
水の精霊ウンディーネか?
呆気に取られている私たちの目の前で奇跡は起きた。
まず私自身、地上への帰還途中に使い果たした体力が水を蓄えるかのように増していくのも感じる。
自らの力で立つことも叶わなかった両足に再び気力が立ち込める。
さらに。
目に見える傷を負っている者たちの怪我が癒えていく。
用務員の側頭部から流れる血は消え、その奥の肉々しい傷は逆行するかのように元に戻っていった。
そして。
水揚げされたばかりのマグロのように地面に這いつくばっていた坊主の紫の顔色が
欲求と搾取によって得られていたあの艶々しさを取り戻し。
「クソが」
自らの死を悟っていたのであろう坊主が口に出した言葉は、神への感謝ではなく。
唯一神の使途が認めてはいけない納得がいかない現象に対する呪詛の言葉。
その言葉が一番現実を表していた。
どうやら本物のようだ。
私たちは全員ハイエルフの力と存在を信じ込まされた。
回復を終え、地面に降り立ったハイエルフは一仕事終えた感じの草臥れて笑顔を浮かべる。
そこに軍人が黙って水の入った革袋を差し出した。
「ありがとう、いただくわ」
一口、二口、口をつけた革袋を軍人に返すとハイエルフは優雅に問うた。
「迷宮にいる魔物はどのようなもの?」
「牛頭人身の化け物で10フィート以上はありそうな巨人だ。亡霊と我々が呼称する人の形をした形骸はほぼ倒した」
ミノタウロスという呼称があるのだが、それがエルフに通じるかわからない、用務員はそう判断したのだろう。
「ミノタウロスね、地に封じられたティターン族の尖兵、忌々しい牛の魔物」
ただその配慮は懸念に終わった。
「亡霊と呼ばれるのは恐らくカーディスの信徒がアンデット化したもの。ミノタウロスだけならば、私たちでもやれるわ」
横たわったままの坊主が、巨体に似合わずに下半身の力だけで跳ね起きる。
その重量で石畳に埃と塵が舞う。
「神の力を見せつけてくれるわ、化け物にも魔女にもな」
私たちにもハイエルフにも一瞥もくれずに、一人で再び暗闇に向かった。
「行きましょう」
軍人が短い言葉で続く。
私たちもお互いに頷いて、暗闇に戻ることを選んだ。
「地面の下はカーディスの領域、精霊の支配力がやや落ちるの。
彼女の身体では、その分詠唱の時間が長くなってしまうので
出来る限り多方面から対峙して、ミノタウロスの気を逸らしてくれると助かります」
彼女の身体から漏れる緑を帯びた光が、ややその光量を落としている気がするのは、そのせいだろうか。
「あなたの身体は?」
それを聞いて副官が問う。
「そうね、私の肉を帯びた体は遥か昔に森と一体化してしまっているわ。ただ精神だけは精霊界に存在している」
「美味しいものが食べられないのはつまんないね」
「それは常に思うわ。先ほど頂いたお水は、やはり美味しかったもの」
バカバカしい質問だとは思ったが
アルケミストの中の彼女は感傷的な表情を浮かべていた。
「私はかつて人間たちとこの地で旅をしたわ・・・」
彼女が語り始めるのを他所に、私はブーツの紐を結びなおすふりをしながら、副官の足首をそっと握った。
「なっ・・・」
口に人差し指を当て、副官が声を荒げそうになるのを阻止する。
パーティーはハイエルフの話を聞いてか聞かずか、誰も私たちに気を構わないまま歩みを進めていた。
しゃがみ込む彼女にそっと耳打ちをする。
「まじ?金になる?」
「おそらく」
「船長の悪い顔は予想を外すことが少ない。今回もそれに賭けよう」
心外だ、そんなに悪い顔をしているかな。
「ということで。あの魔法使いがいることで、牛男に勝てるチャンスはあると思う。
乱戦の中、狙いが外れることも多々あるし、不自然な行動ではない。
あとは誰よりも早く・・・」
「言わずもがな」
今度は副官が唇に人差し指をあて、にやりとほくそ笑む。
彼女の顔こそが、悪い顔だ。
「たぶん同じ顔をしていたよ」
そう言い放ち、副官は少し過ぎ去った集団を追いかけた。
なるほどな。
私も靴ひもを改めて結びなおし、小走りで後を追った。
階段を降り、例の通路が姿を現した。
最初に降りた時よりも、随分埃っぽく感じる。
ミノタウロスが先ほど大暴れしたのはどうやら現実であるようだ。
と言うことは、私たちはそれを何とか生き延びて、魔法使いをパーティに組み込んだのも現実だ。
軍人が先ほどと同じように、気配を消しつつ大広間をのぞき込み。
そして戻ってきた。
「すまない・・・目が合ってしまった」
申し訳そうなその言葉に笑う暇はなく
『モッギュー』
怒号とともに床の埃が舞い踊る。
それだけではない、明らかに地面が揺れる。
立ってはいるのだろうだが、身体を保つことが出来ない。
人の身体と心を縛られる。
ドッドッドッと迫りくる牛男の足音に、咄嗟に反応できなくなってしまう何かがあるのだ。
しかし
ハイエルフの身体が光を放つ
『自由なる風の乙女シルフよ……大気を鎮め、沈黙を導け!』
先ほど身体を癒してくれた小人とは違う姿が、疾風のように頭上を舞い踊る。
何かが聞こえる。
聞こえないはずの歌うような笑い声を響かせながら、大広場に向かっていく
それと同時に、ミノタウロスが放つ怒号は掻き消え。
身体が動く。
それだけで十分だ。
私はともかく、私よりも荒事を本職としているパーティはいち早くそれに気づき、大広間に飛び出していった。
私も遅れて続く、そして。
前床を牛男の中心に向けて、トリガーを引いた。
魔弾の射手までとは言わないが。
キンという金属音で何かが爆ぜる。
私は当たり所を確認せずに、北東に走り、再び装薬と弾丸を詰めた。
先ほどの大暴れの惨状を改めて目にする。
角で突かれた天井が崩れたのだろうか、大小さまざまな石塊がスムーズな移動を阻んでいた。
しかしそれが功を奏しているかのようにも感じる。
牛男の直線的な動きを遮り、我々は四方八方から奴に対峙することが可能となっていた。
用務員の掃除用マップが牛男の脛を狙って低く振るわれるが、それを大斧の柄でガシッと受け止めるミノタウロス
しかしそれを見据えて従者2人が転がるように駆け寄り、その2本の刀剣が左の脇腹を薄くだが抉り割くことに成功する。
牛の化け物の血も赤い、鮮血をまき散らす。
苦悶の表情と共に『もぐー』恐らくそんな雄たけびを上げているのだろうが、奴の声はシルフだかなんだか
小人がどうにかして阻んでくれているようだ。
それを見て2人と用務員は「こうじゃー!」と叫び返し、牛男を威嚇するのだった。
ミノタウロスの巨大な目が一層に血走る。
いや、仔細まではうかがえないのでかの様に見えるが正解か。
人を威圧する声が届いていないのを察したのか
その険が鋭くなり、我々を視線で殺意で威嚇する。
唸り声ほどの効果はないが、それでも手が震えて狙いが定まらない。
その中で。
牛の視界は広いと聞くが、ミノタウロスはそれに該当するのだろうか。
いや、気配を消す事に長けた彼女は、例え本物の牛馬であったとしても、その身が気付かれる事は少ないだろうと
私は思う。
背後の巨石に蹲っていた副官は、その鋭い視線の外にいた。
威嚇に囚われていない彼女が
その背後の方向からアヴェンジャーを振りかぶって大きく投げ込んだ。
復讐者と名付けられたナタのような小刀は、斧を固く握るミノタウロスの右手の中指を砕く。
牛男の顔が大きく天井を見上げ、悶えを上げるかのようにみえる。
巨大な金属の塊が床にぶつかり、転げ、その破片を散らした。
奴の手元に武器はない。
しかし、奴にはこれがある。
牛男は身をかがめ、天井に向けその巨大な二つの角を再び突き上げようとしていた。
「角を狙って」
そう通る声で叫ぶとハイエルフは何事かを呟きだす。
今度はそのしなやかな身体の周囲に熱を帯びた赤い光がチロチロを火花を散らし始めた。
私と軍人はその声を受け取り、牛男のド頭を狙う。
先ほどは上手く弾かれたその堅牢な双璧を。今度はその懸崖を崩し去るために。
2つの銃から放たれた弾丸は高速ながら、赤い軌道をくっきりと私たちに見せた。
その周りに小さな赤いトカゲ達がクルクルと楽しそうに回っていたのは気のせいではないのだろう。
ミノタウロスが頭上を突き上げようと跳ね上がり、その双角が天井を捉えようとする直前に
炎を纏いし弾丸は、奴の双角を捉えた。
轟音、そして黒ずんだ煙、硝煙と焦げ臭い匂いの中に鈍い音が混じる。
その中には頭を抱え床をのた打ち回るミノタウロスの姿があった。
崩れ落ちた石材や床を砕け散りながら、埃を撒き散らしながら、倒れながらも、いや余計に大きな暴風を放つ。
私は、その暴威から逃れるために入り口の方に退避をする。
「ぬぅ、魔女、異端の力でも悪魔の力でも構わない、わしに何かしら力を貸せ」
坊主が転げまわる牛男から目をそらさずに、後方のハイエルフに声を荒げる。
肩をすくめながら。
「あなたは何かしらの神に仕えているのでしょう。神は信徒が英雄譚に語られるのを非常に好むわ」
「どういうことだ?そういうことか」
自問自答をしながら答えが出たのだろうか、
肉に埋もれて部分が判断できないのだが、その頭は背後から頷いたかのように思えた。。
「神よ」
短く強く、そして俗物とは思えぬような厳かさ。
坊主がそう唱えると、崩れ落ちた天井から一閃の光が坊主に降り注ぐ。
「これは・・・」
レンブラントやラファエロの絵画で、神の使徒が光に塗れる絵画を何処かで見たことがあるだろうか?
目の前でその光景が再現されているのを想像してほしい。
私は口を噤んでいたので、こう漏らすのを何とか堪えたが。
そう口にしてしまうのは無理もないことだ。
「ええ、神の奇跡よ」
模範解答、まさしく坊主は絵画の様な神の奇跡に包まれていた。
ただ例の神の使徒を横に5倍6倍と広げたヒキガエル人間の風貌ではあったが。
その光を身に纏い、ハルバードを頭上に掲げるのを私は観た。
ええ、私が観たのはそこまでだ。
英雄譚を全て語ることが出来ないのは残念だが、私は吟遊詩人ではない。
私はそのまま身を翻し、コソコソと地上を目指し通路を階段を駆け登った。
副官は私より先に脱出している。
牛男は倒される、そう私が請けた依頼は遅かれ早かれ達成される、いやもう達成されたかもしれない。
ここから私が、私たちが何をしようが一向に構わないはずだ。
この後に健闘を讃えあい、無事を確かめ合い、そしてハイエルフはいなくなり・・・
そういう風景と繋がりに私は全く一向に興味がなかった。
私が興味を持つことはただ一つ。
光が見える、私は先ほどと同じように最後の階段を駆け登る。
敗走時と変わらずに足と身体は重かったが、多少の余裕があった。
そして心躍る可能性をも手にしていた。
登った時には多少は楽しんだ光景だが、今回はその余裕がない。
私は遠くカンディアを目に捉え、その方向を確認した。
「ナイス」
声とともに、右の拳を強く握りしめる。
階下には、馬がつないであった。
一足先に脱出した副官が、近くに繋ぎなおしておいてくれたのだ。
私は再び駆け足で階段を、半ば転がるように下り、馬の鞍によじ登った。
息は馬上で整える。
ただ両足はプルプルと震え、その限界を迎えつつあった。
私は落馬だけはしないようにと、馬の首にしがみつくように。
それでも馬を急がせた。
門番が両手を広げて、侵入を阻止しようとするのも構わずに。
安心してほしい、門番は寸前でその身を交わしていたはずだ。
私はそのままカンディアの町の石畳を蹄鉄で叩きながら、港に向かった。
港湾役人が追いかけてくる。
私は波止場の手前で馬を降り、この馬を譲るから私の行為と出港をどうにか収めてほしいと伝える。
そのしかめ面の中に、そっとドゥカートを幾枚か握らせると、許容の表情が混じり込んだ。
短艇から副官が立ち上がり、その両手を振っている。
私は短艇と海の5フィート程の間を飛び越えようと。
「おっと」
ちょっとだけ足りなかった、寸前のところで彼女が私の両手を掴む。
「助かった!」
「ほんとどんくさい」
そう言い放ち、停泊してある愛船へ。
沖合に背中を向けてオールを漕ぎ始めた。
「持ってきた?」
「そこの袋の中」
私は船底の革袋の口を開けた。
その中には。
その中には、大小金属の破片が幾枚か詰め込まれていた。
刃が欠けた部分だろうか、そこに指をそっと力を入れずに置き当てると、一線が指の腹に浮かび、後から血がにじんできた。
驚くべき鋭さ。
銅器ではないし、鉄器でもない。
合金か、それとも未知なる鉱石だろうか、判断がつかない。
やはり普通の金属とは違う気がする。
そのまま天にかざす。
鈍い青色をしており反射はしないのだが、陽の光に当てると何故だか黄金にも輝く。
「あたりだ、たぶん当たりだ」
「ねーねー、種明かしをしてくれてもいいんじゃない?」
そう副官が集めてきたのは、ミノタウロスの斧の破片だ。
私や副官が武器に向けて攻撃を集めたのは、出来る限りこの破片を集めるためだったのだ。
「何年か前にカンディアの郊外でアトランティスの財宝が見つかったって話、覚えてる?」
「あーオリハルコンの!
クレタだか東地中海にあったアトランティスはオリハルコンの武器をもって周囲を圧倒したってやつでしょ?
でも見つかったのは青銅器にメッキをかけたものだったんでしょ?」
お、意外に博識、さすがに私の副官だ。
「そうそう、ただメッキの技術だって大したものだし
それに、あれは文明の後期で、オリハルコンが製鉄出来なくなった時期の物じゃないかなと思うんだ。
つまり・・・」
「オリハルコン、その物は存在した」
素晴らしい、うちの副官は聡い!
「何ニヤニヤしてるの」
いや、それは君が賢いからだよ、私はそう言うのを我慢した。
「うんうん、ほら、ハイエルフがこの地の昔話をしたじゃない。
彼女が語るに、私たちが知る歴史以上のものが世界には存在する。
神々の戦争があった時代にはオリハルコンがあり、それが後世にも残っていたのではないか」
「それが牛男の斧?」
「わからんが可能性はある、それにこの金属は明らかに現世では存在しないものだ」
船上から縄梯子が下ろされて、私はそれを掴む。
お尻を副官に抑えられながら、必死によじ登る。
「リスボンだ、リスボンに向かうよー」
甲板で尻もちをつきながら、スタッフに向けて大声を張った。
「相変わらずかっこ悪い」
続いて登ってきた副官に手を取られながら、私は階下に向かった。
「リスボンでは金になる?」
「ミノタウロスが倒されたという情報はやがて伝わる、ひょっとしたら船より速く伝わっているかもしれない。
ポルトガルはリスボン、彼の地には今やこの世界に出回っている以上の金が流通しているだろう?
ミノタウロスが持っていた得体のしれない金属に幾らでも金を出す数寄物が唸るほどいるさ、それは国家かもしれない」
「金の出どころは問わない、問うのはその金額である」
「そういうこと」
相変わらず悪い顔をしている副官だ。
そう思いながら私は鏡を振り返った。
そこには。
「ね、悪い顔でしょ」
同じ顔をした私がいた。
全く参考にならないミノタウロス攻略記録決定される
私の所持金は文化投資と、その後の料理作成でほぼ底が尽きかけていた
「クレタ文明の遺跡でしょ? カンディアの奥地にある」
イライラしながらも、このくらいの情報はスラスラ出てくる。
知識と情報は金也、これ武器商人の鉄則。
「話は速いな、そうだ、クライアントからの依頼はクノッサス宮殿の調査だ」
お金さえあれば、こんな場末のギルドの依頼なんて受けることもなかったのに。
ヴェネツィアに戻り、何か大口の仕事はないかと探ってはみたのだけど
なんでか知らんが新しい制度でカピターノの資格が簡単に取得できるようになったとか?
ヴェネツィアにとってカピターノは由緒正しい国家大船団の船長の資格
こんな簡単にカピターノになれちゃって良いのか?よ?
私は実際交易ギルドノマスターに散々文句を吐いたのだけれども
いわゆる私はヴェネツィアの雇われ外国人、ただの便利屋
何を言っても始まらないし通らない。
その大量量産された新米のカピタン達に率いられた大船団は、
私が受けるような美味しい仕事を根こそぎ奪いつくし、地中海各地各港に散らばっていった後だった。
おのれ、オスマントルコに拿捕されてしまえ!
ハイレディンに追われてナイル川に追い詰められろ!
ジブラルタル海峡を封鎖されて死ね!
散々罵倒し尽くして、息も絶え絶えの私に軽蔑の視線を向けながら
『アテネの戦闘ギルドにお前向けの仕事がある、さっさと行かないとこれもカピターノに回すぞ』ときたものだ。
ふー。
「何をしに? 遺跡探索や盗掘はお門違いだぞ、それにもう枯れた遺跡でしょ」
「・・・いるらしいんだ」
吐き出すように出てきた言葉に寒気を感じる。
「何が?」
背中に寒イボが立ってはいたが、それを悟られぬように言葉を返す。
「ミノタウロス」
「は?」
ミノタウロスと言ったか。
クレタの王ミノスがポセイドンを謀ったことにより神罰をうけ、彼の妻は雄牛と交わり牛頭人身の怪物を産んだ。
それがミノタウロス。
彼?奴?は人を食すようになり、手に負えなくなったミノス王はラビュリントスを築き、それを封じた。
封じられたのがミノタウロス。
当時大国だったクレタはミノタウロスが食す人間を生贄としてアテネに要求し
それを断つためにアテネの英雄テセウスが派遣されたのだった。
そのテセウスに倒されたミノタウロス?
意味がわからない。
「は?」
全く意味がわからない。
「お前さん、経歴書にウィザードリィシリーズの総プレイ時間が2000時間以上と書いてあるが・・・」
ウィザードリー。
アメリカで生まれた3DダンジョンRPGで、日本のRPG全ての父である。
ファミコンでもプレイはしたが、私の中心はゲームボーイだった。
私のゲームボーイの画面はウィードリィのダンジョン焼けをしており、友達には大きく不評だった。
特に外伝1・2はストーリーやドリル、コレクター要素も大きく練られいていて寝る間も惜しんでプレーをした。
何度も何度も何度も転職を重ねたメインパーティのレベルは3000を超えていた気がする。
だけど!
それとこれとは。
「ちょっと待って、ウィザードリーの総時間が何の関係がある?」
関係なくないか?
「それだけダンジョンに造詣が深いと判断されたんだろ。それにあんた前金を受け取っているよな?」
私は武器商人、後金で仕事はしない主義。
正直、この金を返したら私と私の船は維持できない。
とうざをしのぐために、そして副官船員の給金に、今後の仕事の資金に。
ギルドマスターは手元の羊皮紙に目を落とし。
「・・・結構な金額だ」
ぼそっと吐き出す。
汚い天井を見上げる。
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10。
天板の染みを10まで数えて、やっと言葉を絞り出す。
「で、どうすれば?」
「クノッサス宮殿まで行ってくれ。あんたの他に今回のパーティが待機しているはずだ」
今回の?初めてじゃないってことか。
「何人死んでる?」
ギルドマスターの目を覗き込む。
「ヴェネツィアの数奇者がパトロンの発掘チームが襲われて20人。討伐チームが組まれること6回で、25人」
彼は視線を逸らさずに一気に吐き出した。
「私は7回目?」
「そうだ、45人が死んだ。死体は喰われているらしい」
震える声。
目を瞑り、そして顔を背けた。
「何人かは逃げのび、生き残りはいる、必ず死ぬわけではない」
そんな青白い顔で慰めているつもりか。
ふん。面白くはない。
私はその言葉に背中を向け、ギルドを後にした。
その日のうちに準備を整え、夜半にアテネを出港する。
カンディアまでは200マイルほど、1日でこぼこもあれば到着するだろう。
エーゲ海の穏やかな波に揺られて、普段ならばすぐに眠りにつけるのだが。
さすがにそう図太い神経はしていない。
以前にバレンシアで処方された睡眠薬をラム酒で無理やり流し込み、意識を無理やりに遮断しようと試みる。
それにしても、むしゃくしゃする。
一口、二口のつもりが、つもりでは治まらなかったようだ。
私は瓶を放り投げ。
放り投げ?
放り投げた記憶はあるんだが。
とりあえず睡眠薬とラム酒のコンボにより意識の遮断にはどうやら成功したようだ。
ただその弊害として、ひどい頭痛とともに私はカンディアに在った。
「10日、10日以内に戻らなかったら牛野郎に食われたと思っていい」
私の副官が、こんなにも神妙な顔つきが出来るとは。
新しい発見だ。
「戻らなかった場合は、この900万ドゥカートと船の売却益で船団を解散させてしまって」
「これは成功報酬なのでは?船長が死んだら取り立てが来るかもしれなくない?」
これは盲点だ。請負主が死んだ後の前金クエストってどうなっているのだろうか?
「1000万ドゥカートだよ?使い込んじゃってるから900万じゃ足りないし」
「それくらい船を売れば大丈夫っしょ」
「だから私たちの退職金とかどうにもならなくなるでしょ?どうすんの?一生クレタ島で暮らすの?牛野郎出てきたらどうすんだよ!」
ものすごい剣幕で怒られる。まじまじと見つめると眉間に細かい皺が何本も寄っている。
これは怒りだけではないはず。
どれくらい一緒にいたんだろう、お互い歳は取るものだ。
「そうだよね、アフリカとかオセアニアで捨てた船員はどうなっているのかに近い問題があるよね」
「そういうこと、だから私も行くから」
結局私は2頭の馬をカンディアで用立てて、簡単な準備をし、クノッソス宮殿へ向かった。
カンディアの門を出るとすぐクノッソス宮殿はすぐ目に入るようになる。
港町から6マイルと離れていないはず、こんなに町から近いのか。
先ほどの『牛野郎が出てきたらどうすんだよ!』の言葉を思い出し、『ぶっ』と少し噴き出す。
不謹慎だが、本当に牛野郎が出てきたらどうするつもりなんだと少し面白くなる。
クノッサスは意外にも巨大な遺跡だ。
街の遺構の真ん中に、大きな土台があり、その上に宮殿のようなものが聳え立っている。
待ち合わせはきっとあそこだろうなと目星をつけ、かつて街の馬繋場であったろう箇所に馬を繋いだ。
「まだ結構距離があるし、もう少し馬でいかない?」
「だって君は牛野郎が外に出て来たらどうすんだって言ったじゃん。
近くだと入れ違いで出てきた牛野郎に馬を喰われたらどうしようと思ってさ」
「いや、牛は馬は食べないでしょ」
そうかもしれないが、何が起こるかは分からないし。
それにこれから組むパーティメンバーの素性さえも分からない。
万が一敗走にでも陥った時に、馬を奪われる可能性を考慮した。
「人を喰らうって言うしさ、肉だったら何でもいいのかもしれない。念のため」
渋々後をついてくる彼女をお供に、宮殿跡らしき建築物に足を運ぶ。
クノッサス宮殿とやらは、ローマやギリシャあたりでよく見かける宮殿とは趣が違っている。
柱が何本も直立して屋根を支えているのではなく、建造物としてより文化的
クレタのミノス王はアテネから生贄を徴収していたというし、天災によって失われてしまったとあるが
より栄えている文明だったのだろうな。
階段を一歩一歩踏みしめながら、そんなことを考える
「ひーひー・・・考える気力はない」
「はー・・・何か言いました?」
「なんにも」
漸く吐き出した音は、かすれきって意味をなしていなかった。
階段の勾配がきついし、そして段数が多い。
普段運動をしない私には大きく堪える。
「はー。上に人がいますよ」
「うん」
それくらいは私にもわかる。
何人かがいる、そしてこちらを伺っている気配がある。
最初から格好悪いところは見せるわけにはいかないでしょう。
大きく息を吸い、吐き出して、息を整え。
「行こうか」
こんどはきちんと意味のある声が出た。
そう言ってから、階段を5段踏みしめた。
頂上は幾分かのスペースがあり、奥に宮殿らしきものが暗い口を開けている。
スペースを囲っていたであろう柱の多くは朽ち果てており、カンディアの街、エーゲ海、そして北の山々。
をパノラマのように一望できる。
非常に気持ちの良い場所だ。
バカと煙と権力者は高い場所を好むと言うが、満更ではない。
さて景色と感慨から目を背けると、そこには10に満たない程度の人間が中座していた。
今回のパーティと、その従者であろうか。
1人は女性、その鋭利な佇まいは私の商売相手が放つ雰囲気に似ている。
そう彼女は軍人だ。
1人は恰幅の良い風体。
とは、とても言えない、筋肉と脂肪に包まれた禍々しい巨体である。
しかしそれに似合わず柔和な佇まいに、冗談のような天使の輪っかが浮かんでいる。
このユルキャラのような雰囲気に騙されてはいけない、これは搾取する側の存在だ。
つまるところの坊主、聖職者というやつだ。
もう1人はトナカイの角を生やし、小汚いつなぎを身にまとっている。
この人物だけは良く判断がつかない。
そうだな通称用務員と呼ぼう。
最後の1人はフードをまとい、頭巾をかかぶった小柄の女性。
学者っぽい様相なのだが、少し怪しげな部分がある。
「学者さん?」
「ノン、アルケミスト」
つっけんどんな返答
なるほど、どうりで怪しげな雰囲気を纏っているはず、錬金術師と呼ばれる、そしてそう自称する山師だ。
「全員揃いました」
どうやらこの山師が、今回のパーティのリーダー。
スポンサーの意向と命を受けている者らしい。
「…感じ悪い」
副官がボソッと呟く、ただ彼女は性格が悪く、人に聞こえる音を出す性質がある。
「私はオルセオロ家の意向を受けています。
ですからヴェネツィアから派遣された貴方方の今後の心証に大きな支障をもたらす報告をしないといけなくなります。
それでも宜しければ、ここで仕事を降りて頂いても構いません
ただし、受け取っている前金は残らず返して頂きますが、それでよろしい?」
剣呑な目つきをしている副官の前を遮り
「いえ、私の流儀で前金は受け取るということは仕事を必ず遂行するという事です。
そして任務の成功ともに、心証の上書きと報告をお願いしたい」
ハットを取り、深く腰を折る。
その後ろから、今度は私にだけ聞こえる声で『ザコ』という音が聞こえたが、耳に入らない振りをした。
「あなたはミノタウロスを見たの?」
尋ねたのは軍人の彼女。
そう、まずはミノタウロスがいるのか?その存在が確かにクエスチョンだ。
ミノス王の時代は、まぁ、伝説ではあり、その存在が疑われるが、3000年以上前。
更にその時代に英雄に討たれたときている。
ミノタウロスに懸想した何処かのバカか野盗が変装している可能性だってあるじゃないか、いやその方が現実的。
何処かの怪物や伝説を騙る悪党の話は、世界中に溢れている。
「私はお嬢様の命を受け、クノッソス宮殿の再調査を行っていました」
「つまりあんたはあのヴィットーリアのサロンのメンバーってことか」
用務員が口を挟む。
「ええ。宮殿の床下に空洞があることは、建造物の構造上明らかでした。調査はその空洞を探ることが目的でした」
彼女の視線は、口を開ける建物の入り口を指していた。
「あの宮殿は何を祭っているのですか?」
聖職者としてはどのような回答が望ましいのだろうか?
宇宙で唯一正統な王者である神とでも答えてほしいのだろうか?
「クレタの神は確かではありません。ただ所々に牛のオブジェ、牛頭が飾られてはいます」
宮殿の入り口の上部上には色鮮やかなイルカのフレスコ画が掲げられている。
「イルカが神だったらいいのにね、イルカは可愛いし、ラッキーの化身だし」
そう副官がアホな事を呟くが、満更バカにも出来ない。確かに航海中のイルカは、船と船員に幸運をもたらすし、潮風と不味い食事と今後の商売の算段等に乱れた心を癒してくれる、いやちょっとだけだけど。
そんなんだから私はフレスコ画のイルカに少しだけ祈ってみた。
「揃ったばかりですが、そろそろ参りましょう。まずはその道の専門家であるあなた方に、奴の倒しかたを探っていただきたい」
油の染み込んだ枝が先端にくくりつけてある棒を焚き火にくぐらせて、女軍人が腰をあげる
「いきなり倒せとは言わないのね」
「ええ、それで何度か失敗しているようですので。こちらです」
アルケミストは闇を潜り、室内を先導する
松明の灯りに揺れる祠の内部は、様々な彩りの壁画に囲まれていた
これは、そう、牛頭の怪人…ミノタウロスか。そしてアリアドネとテセウスらしき人物の冒険譚を描いた物。
「クレタにとって、アリアドネは裏切り者だし、テセウスは従属国の間諜でしょ。それなのに英雄譚を壁画に描くのはおかしくない?」
「ええ、私たちもそう感じていました。これはクレタにとっても災厄だったものに違いないと。神話と現実は違ったニュアンスで伝わっているのです」
「ギリシャ神話の神はギリシャの人々の創作にしかすぎません。物語を真剣に現実として語るのは神への冒涜ですよ」
坊主は真剣に語る。何しろ神は彼等の重要な飯の種、商売仇は次々に焼き尽くして今のC教は成り立ってきたのだ。今回の件も邪教討つべし程度の認識で派遣されてきたのだろう。
「これを、橫に引いてくださる」
アルケミストが巨大な牛の彫像を指差した
「牛の角を取っ手にして、東の方向へ」
言われるがままに用務員が牛の角を掴み、そして力を込める
少しずつだが牛は擦れ、大理石の床から空間が現れ始めた
「何度も立ち入られた遺跡でしょう。なのに何故この下階への入り口は見付からなかったの?」
「なかったんです。この牛の彫像は確かに固定しされていて、下階への入り口などなかった」
牛の彫像の下には下階へと続く階段が現れ始める
「あの時、牛の彫像が突然動き、そこに下階が現れたのです」
フードと光量の不足により、彼女の顔色は伺えないが、その震える声から察すると蒼白に違いない。
それを察したか、または知らずして、用務員が先ず先にへと階段を下る。
案内役のアルケミストが続き、私達は最後
ガンバレルに弾薬を詰め込み、点火薬を込みつつ歩みを辿る
私の前を歩く坊主は巨大なハルバードを担ぎ、用務員は柄物のモップか短銃かを迷った上でモップを握りしめ
軍人は銃口を右斜め前の空間に向け警戒を怠らない、握るは英国正式採用のブラウンベスだ。
階段を降りると、10フィート程、天井に余裕のある空間が拡がっていた。
それはただの空間ではなく、幾つもの部屋が連なる、そう迷宮のようなもの
この地では、そして物語として音に聞くラビュリントスそのものが存在していたのだ
「このフロアーを名目上は地下1階と呼称しています」
ラビュリントスは完全な漆黒ではなかった
大理石らしきもので作られた内壁は何故かうっすらと光を発している
視界はそう遠くないが、松明が無くても支障がない程度
「地下は何階まであるの?」
「私たちが確認出来ているのは地下3階まで。こちらです…」
地下3階まで。までという事は、そこに例のモノがいるのだろう。
下階に続く階段までの道程は多少複雑だが、アルケミスト達研究者によって壁に矢印が記されていた。これならば万が一敗走となっても道に迷う恐れは少ないだろう、そんな事を考えながら、一回、二回と階段を下る。
「止まってください」
小声だが鋭い声、最後の一段の手前でアルケミストが我々の歩みを制した。
声が指す先には左手に折れる通路が広がり、通路の先からは人工の光量が漏れている
そして人が発するような言語らしきものと、おぞましきうなり声が悪臭とともに流れでる
その音は広くくぐもり、その先には大きな空間が拡がっていることを想像させた
軍人が腰を落としたまま音を立てずに通路を進み、斥候を務める
空間の方を覗き、やがて手招きをした
私たちは彼女の動きを真似て、そっと歩みを辿る
視線の先は500フィート四方×15フィートはあろうか、天井は通路よりも遥かに高く。
巨大な空間となっていた。
光源は壁一面に掲げられておる松明と、そして中央にある巨大な焚火から発せられているのであろう
火の揺らめきで空間の調度品や、中にいるモノ達の姿が揺れる。
そう、中にいるモノ達、複数だ。
焚火を前にして、我々に背を向けている一際巨大な者、あれがミノタウロスであろうか。
確かに角が生えているし、
それに地べたに座り込んでいる態勢でありながら7フィート(角抜きで)は優にありそう。
あれを人間が擬態しているのは少し無理があるな、私は少し前に思った悪党が擬態している説を破棄した。
そしてそのミノタウロスが周りに侍らしているのが
「人間?人間がいるの?」
私は首を引っ込めて、小声でアルケミストに確認をした。
「人間と言えるのでしょうか。私たちはクレタ戦士の亡霊と呼んでいます」
確かにローマか、それ以前の戦士の風体をイメージするとあんな感じなんだろうが、どう見てもコスプレ戦士だ。
それを「亡霊?」何を言っているんだと怪訝な表情をしている私たちに
「私も、私たちも最初は人だと思っていました、後にわかるはずです」
勿体ぶりやがって。
とりあえず疑問や怪訝は捨て置いた
何しろこのパーティの面子は、
いざとなったら人間の10人や20人をまとめて殺すことも厭わない連中であろう。
ミノタウロスを殺しに来たのに人間もいるがどうするんだという怪訝な表情に
亡霊だからどうしても良いという回答が来たというだけだ。
更に観察を続ける。
乳白色の煉瓦で組み込まれた両壁の中央には巨大な牛頭のオブジェが飾られており、揺れる焔の欠片に揺れる。
その両側には、巨大なこん棒や斧が武器庫の如く陳列している。
いずれも10フィートは超えそうな得物だ、アレでぶっ叩かれたら頭がすっ飛ぶな。
私がそんな馬鹿な事を想像していたのがいけないかもしれないから、内緒にしておこう。
上体を揺らしながら何かに夢中になっていた牛頭が突如私達の方へ振り返ったのだ。
牛頭は疑問に思った表情で、いや、ミノタウロスの牛顔から正確な表情を読み取ることなぞ適わないので
私がそう思っただけなのだが、不可解そうな表情をしていた気がした。
そんな表情で「モキュ?」と、そのグロテスクさからは想像できない可愛いらしい鳴き声が発せられた。
我々の表情も「モキュ?」であっただろうと思われる、実際どうしたらいいものか、今から攻撃に移った方がいいのか
数舜の間両陣営の時間が止まった。
それを切り裂いたのはミノタウロスこと、牛男が我々に向かって投げ込んだ物体だった。
何かが高速で投げ入れられるのを察した私たちは咄嗟に合間を開けた。
ひょっとしたら親愛のプレゼントかもしれないと一抹の期待を込めて投げ込まれたものをチラ見すると
それは 紛うこと無き人の腕。
噛みちぎられた跡が生々しい、人を食すのは本当なのだなと我々が心の中で認識を一致させたとき
「キャッ」と悲鳴を上げて倒れたのがアルケミストだった。
なかなかこういう耐性はないか。
私はフォアグリップを掴み、凡そ適当な1発を撃ちながら
「彼女を外へ」
副官と彼女の従者がアルケミストを引きずっていくのを尻目に、再び弾薬を詰め込む。
だいたいの感じで放った弾丸は運よく亡霊の右肩を抉る。
よろめいた亡霊の頭を軍人が狙いすまして撃ちぬいた。
倒れ込む亡霊。
いける。
それを確認して、坊主と用務員、そして従者各員が得物を振りかぶり雄たけびを上げながら突入する。
私と軍人は銃を構えつつ左右に散った。
亡霊の数は残り9人、いやたった今用務員のホームランが1人の頭をかっ飛ばし、坊主のハルバードが胴体を薙ぎ払ったので
残りは7人か。
今度は狙いをつけて従者の一人に対峙している亡霊の首筋に叩き込む。
それと同時に私に向かって槍状のものを投げかけた亡霊の手首が粉砕された
「ハーイ」と片手を挙げて、感謝の意を示したが軍人は無表情で再度弾薬を詰めている。
手首がはじけ飛んで蹲った亡霊は、軍人の従者がサーブルで刈り取ったのだが、その直後亡霊の死体は露と消えた。
よく見ると亡霊の死体らしきものは何一つ残ってない、死人に口なしどころではない。
なるほど、これが亡霊の由縁か。
『もっきゅっきゅ』
大地を揺るがす雄たけびを上げ、ついに本命登場、牛男ことミノタウロスが巨大な斧を両手で構え坊主と対峙する
坊主が握るハルバードも柄を含めると7フィート近くはある大得物。
そして彼自身も聖職者とはとても思えないくらい横にも縦にも蔓延る巨体、このような仕事以外では全く関わりたくない怪物だ。
が、それが見劣るくらい、その彼が見上げる位の大男、いやモンスター、それがミノタウロスだった。
この空間に立ち込める悪臭は、血の匂い、死臭、饐えた匂い、様々な成分を含んではいたが
今は判る。
ミノタウロスが、その雰囲気とともに放つ人を圧倒させる獣の匂いであった。
ミノタウロスが放つありとあらゆる邪気、そしてその身の毛もよだつ雄たけびは
一瞬にして私の頭を真っ白にさせる。
しかし、そこは聖職者の面目躍如
坊主が「ぬおー」と気合一閃挑みかかった。
彼が渾身の掛け声とともに振り下ろしたハルバート
交錯する牛男は片手に持ち替えた斧で軽々と支える。
坊主の禿頭に青々しい血管が苦悶の表情とともに浮かび上がる。
「チャンス」
私は口に出すことで、縮こまった心と身体に説得を試みる。
染み付いた射撃の動作はそれに応じてくれたようで、ミノタウロスの側頭部を狙いトリガーを引く。
同時に響く撃鉄の音。
しかし。
どんより思い空気を切り裂いた2弾は陶器を弾くかのような音を響かせた後、跳弾となり地面と壁を抉った。
あんぐり口を開ける私を見ながら
「角だ、角で弾かれた」
軍人が叫ぶ、まさか弾丸が見えるのか。
『もきゅー』
怒号が籠った一声で、斧は振り回され、坊主が絵物語のように壁まで吹き飛ぶ。
その怒りは収まらないようで、その頭を天井に向けて大きく上下に揺さぶり。
巨大な両角が天井にあたり、埃や巨石が激しく飛び散り、視界を悪くさせる。
「逃げるぞ」
用務員が激しくせき込む坊主に手を貸すのが見えた。
お気に入りのモスグリーンのハットが背中の方向に飛び去って行くのに気付くも、それを手で抑える時間が惜しい。
私は後ろと全てを振り向かずに、もつれる足を無理やりに回転させ一目散に走った。
矢印を気にする余裕もない、階段の20や30を駆け登った気がする。
途中で私を抜かした軍人が、指先で指図を流しながら先導して駆ける。
光が見える。
私はそこに向かって倒れ込んだ。
走っている途中に呼吸をした記憶がないくらい、私は外の空気を大きく吸込み、そして咳き込む。
「ゲホッゲホッ」と踏みつぶした蛙が発するような音を発しながら、顔に張り付く幾筋もの銀髪を
ようやく気にする余裕が出来た。
髪を手で振り払いながら
「私は生きてる」
思わず口から出た言葉は正直に自己愛であった。
「船長はすでに死んでいます、ようこそ地獄へ」
そう言いながら私の手首を引き起こし、抱きかかえるのは副官だ。
「そこに倒れ込むと邪魔」
その行為は親切や敬愛からでは決してなく、階下からは足音が近づいていた。
両足に力が入らない。
私は抱きかかえられたまま、祠の外に出た。
陽は沈み、既に夜の世界を迎えていたが、迷宮の薄明りよりはよっぽどまし。
私は仰向けに倒れ込み、外の世界と空気を堪能した。
ただ鼻の奥にこびり付く牛男の臭気が時に混ざり込み不快な気持ちは続く。
先に抜け出していた軍人は、寝かされているアルケミストの容態を確認しているようだった。
「はーはーはー、親切ね」
未だ声にもならないスレスレのところ、止せば良いのに私の口からは嫌みが漏れている。
「スポンサーだからな、大丈夫だ、気を失っているだけだ」
呑気なものだ。
やがて、私に続いて出てきた人数はひーふーみーよー、用務員と2人に引きずられるような坊主を入れたら5人
先に抜け出したアルケミストと2人
私と軍人
あわせて10人、とりあえず全員生存はしている。
「重そうね」
私の顔をギロッと睨み込むも、すぐ様顔を項垂れる。
福々として顔が嘘のように血の気が薄い。
どうやら坊主の状態は良くないらしい、あれは確実に100フィート以上は吹っ飛んだものな。
「食われるわけにはいかないからな、こいつを食われたらミノタウロスに聖なる力が宿るかもしれん」
そう用務員が嘯く。
俗物にそんな力はないだろうが、食料の供給を絶つのは正解だったと思う。
だが。
再び行くのか。
私と軍人と先に抜け出した3人(1人は気絶しているが)は良いものの、残り4人は満身創痍。
さらに坊主は死にそうと来ている、アーメン、祈りの言葉は覚えているだろうか。
何せ、こちとら最近の死人はだいたい海葬。
葬るといえば聞こえは良いが、たいてい海に落ちて死亡認識しているだけだったりする。
亡霊は恐らく粗方倒しつくしたであろう。
ただあの怪物、ミノタウロスはほとんど無傷のはず。
10人やそこらで倒しきれるもんじゃないぞ、アレを倒すには軍隊が必要だ。
「うわ」
副官が呟く。
声の方向。
皆の顔が寝かされているアルケミストを向く。
「うわ」×7
全員が全員、瀕死の坊主以外全員が同じ言葉を放つ。
寝かされているはずのアルケミストが空中に浮かんでいた、淡いグラスグリーンの光に包まれて。
その耳がにょきっと笹の葉のように伸びる。
漆黒だった髪は光を放ち、金色のように見えた。
トルマリン色の瞳が私たち9人を射抜く。
「この人間の身体が一番魔力の要素が高かったの、お借りします」
「エルフ・・・?」
いかにもリアリスト風の顔から似合わない言葉が軍人から漏れた。
たしかに英国は物語の国、エルフも近しい存在なのだろう。
私も同じ感想を覚えていた、そう目の前に浮かんでいるのは確かに森の妖精だ。
「今の人間がエルフなんて存じているのね、遠からずも近からず、私はハイエルフ、この地の調停に遣わされました」
「この地の調停?」
ミノタウロスがいるんだったら、エルフも存在して然るべきだろうの精神か、さほど動揺を見せずに用務員が質問を返した。
「ええ。
この島は且つてマーモと呼ばれていました。
地の底には暗黒の女神カーディスの亡骸が封されており、死して尚、暗黒の波動を放っているの。
その波動に当てられて、彼女の眷属が定期的に甦る。
今がちょうどその時期。
人間たちに力を貸すべく、私が遣わされたの。
今度はあなた方がロードスの平和のために立ち上がった」
宙に浮きながら恍惚とした表情で右斜め45度の何もない方空間を向きハイになっているハイエルフになったアルケミスト
(以後ハイエルフと呼称)
を死んだ魚の目で見つめる私たちパーティ。
マーモ・・・カーディス・・・ロードスの平和・・・何のこっちゃいな。
とりあえず思考を止めることにした。
「か、神は・・・唯一神のみ・・・」
息も絶え絶えながら、坊主がハイエルフに対して説法を説こうとする。
「あら。瀕死のボブゴブリンを捕虜にしたのかしらと思ったら、人なのね、良いわ、今具合を良くしてあげます
水の精霊、清らかなる乙女……」
ハイエルフがそう唱えると、確かに見えた。
水と現実の狭間にユラユラと虹のように揺れる小人?妖精?
倒れこんだ坊主の身体の周りを、そして私たちの頭上を水の流れに身を任せるかのように漂い始める。
水の精霊ウンディーネか?
呆気に取られている私たちの目の前で奇跡は起きた。
まず私自身、地上への帰還途中に使い果たした体力が水を蓄えるかのように増していくのも感じる。
自らの力で立つことも叶わなかった両足に再び気力が立ち込める。
さらに。
目に見える傷を負っている者たちの怪我が癒えていく。
用務員の側頭部から流れる血は消え、その奥の肉々しい傷は逆行するかのように元に戻っていった。
そして。
水揚げされたばかりのマグロのように地面に這いつくばっていた坊主の紫の顔色が
欲求と搾取によって得られていたあの艶々しさを取り戻し。
「クソが」
自らの死を悟っていたのであろう坊主が口に出した言葉は、神への感謝ではなく。
唯一神の使途が認めてはいけない納得がいかない現象に対する呪詛の言葉。
その言葉が一番現実を表していた。
どうやら本物のようだ。
私たちは全員ハイエルフの力と存在を信じ込まされた。
回復を終え、地面に降り立ったハイエルフは一仕事終えた感じの草臥れて笑顔を浮かべる。
そこに軍人が黙って水の入った革袋を差し出した。
「ありがとう、いただくわ」
一口、二口、口をつけた革袋を軍人に返すとハイエルフは優雅に問うた。
「迷宮にいる魔物はどのようなもの?」
「牛頭人身の化け物で10フィート以上はありそうな巨人だ。亡霊と我々が呼称する人の形をした形骸はほぼ倒した」
ミノタウロスという呼称があるのだが、それがエルフに通じるかわからない、用務員はそう判断したのだろう。
「ミノタウロスね、地に封じられたティターン族の尖兵、忌々しい牛の魔物」
ただその配慮は懸念に終わった。
「亡霊と呼ばれるのは恐らくカーディスの信徒がアンデット化したもの。ミノタウロスだけならば、私たちでもやれるわ」
横たわったままの坊主が、巨体に似合わずに下半身の力だけで跳ね起きる。
その重量で石畳に埃と塵が舞う。
「神の力を見せつけてくれるわ、化け物にも魔女にもな」
私たちにもハイエルフにも一瞥もくれずに、一人で再び暗闇に向かった。
「行きましょう」
軍人が短い言葉で続く。
私たちもお互いに頷いて、暗闇に戻ることを選んだ。
「地面の下はカーディスの領域、精霊の支配力がやや落ちるの。
彼女の身体では、その分詠唱の時間が長くなってしまうので
出来る限り多方面から対峙して、ミノタウロスの気を逸らしてくれると助かります」
彼女の身体から漏れる緑を帯びた光が、ややその光量を落としている気がするのは、そのせいだろうか。
「あなたの身体は?」
それを聞いて副官が問う。
「そうね、私の肉を帯びた体は遥か昔に森と一体化してしまっているわ。ただ精神だけは精霊界に存在している」
「美味しいものが食べられないのはつまんないね」
「それは常に思うわ。先ほど頂いたお水は、やはり美味しかったもの」
バカバカしい質問だとは思ったが
アルケミストの中の彼女は感傷的な表情を浮かべていた。
「私はかつて人間たちとこの地で旅をしたわ・・・」
彼女が語り始めるのを他所に、私はブーツの紐を結びなおすふりをしながら、副官の足首をそっと握った。
「なっ・・・」
口に人差し指を当て、副官が声を荒げそうになるのを阻止する。
パーティーはハイエルフの話を聞いてか聞かずか、誰も私たちに気を構わないまま歩みを進めていた。
しゃがみ込む彼女にそっと耳打ちをする。
「まじ?金になる?」
「おそらく」
「船長の悪い顔は予想を外すことが少ない。今回もそれに賭けよう」
心外だ、そんなに悪い顔をしているかな。
「ということで。あの魔法使いがいることで、牛男に勝てるチャンスはあると思う。
乱戦の中、狙いが外れることも多々あるし、不自然な行動ではない。
あとは誰よりも早く・・・」
「言わずもがな」
今度は副官が唇に人差し指をあて、にやりとほくそ笑む。
彼女の顔こそが、悪い顔だ。
「たぶん同じ顔をしていたよ」
そう言い放ち、副官は少し過ぎ去った集団を追いかけた。
なるほどな。
私も靴ひもを改めて結びなおし、小走りで後を追った。
階段を降り、例の通路が姿を現した。
最初に降りた時よりも、随分埃っぽく感じる。
ミノタウロスが先ほど大暴れしたのはどうやら現実であるようだ。
と言うことは、私たちはそれを何とか生き延びて、魔法使いをパーティに組み込んだのも現実だ。
軍人が先ほどと同じように、気配を消しつつ大広間をのぞき込み。
そして戻ってきた。
「すまない・・・目が合ってしまった」
申し訳そうなその言葉に笑う暇はなく
『モッギュー』
怒号とともに床の埃が舞い踊る。
それだけではない、明らかに地面が揺れる。
立ってはいるのだろうだが、身体を保つことが出来ない。
人の身体と心を縛られる。
ドッドッドッと迫りくる牛男の足音に、咄嗟に反応できなくなってしまう何かがあるのだ。
しかし
ハイエルフの身体が光を放つ
『自由なる風の乙女シルフよ……大気を鎮め、沈黙を導け!』
先ほど身体を癒してくれた小人とは違う姿が、疾風のように頭上を舞い踊る。
何かが聞こえる。
聞こえないはずの歌うような笑い声を響かせながら、大広場に向かっていく
それと同時に、ミノタウロスが放つ怒号は掻き消え。
身体が動く。
それだけで十分だ。
私はともかく、私よりも荒事を本職としているパーティはいち早くそれに気づき、大広間に飛び出していった。
私も遅れて続く、そして。
前床を牛男の中心に向けて、トリガーを引いた。
魔弾の射手までとは言わないが。
キンという金属音で何かが爆ぜる。
私は当たり所を確認せずに、北東に走り、再び装薬と弾丸を詰めた。
先ほどの大暴れの惨状を改めて目にする。
角で突かれた天井が崩れたのだろうか、大小さまざまな石塊がスムーズな移動を阻んでいた。
しかしそれが功を奏しているかのようにも感じる。
牛男の直線的な動きを遮り、我々は四方八方から奴に対峙することが可能となっていた。
用務員の掃除用マップが牛男の脛を狙って低く振るわれるが、それを大斧の柄でガシッと受け止めるミノタウロス
しかしそれを見据えて従者2人が転がるように駆け寄り、その2本の刀剣が左の脇腹を薄くだが抉り割くことに成功する。
牛の化け物の血も赤い、鮮血をまき散らす。
苦悶の表情と共に『もぐー』恐らくそんな雄たけびを上げているのだろうが、奴の声はシルフだかなんだか
小人がどうにかして阻んでくれているようだ。
それを見て2人と用務員は「こうじゃー!」と叫び返し、牛男を威嚇するのだった。
ミノタウロスの巨大な目が一層に血走る。
いや、仔細まではうかがえないのでかの様に見えるが正解か。
人を威圧する声が届いていないのを察したのか
その険が鋭くなり、我々を視線で殺意で威嚇する。
唸り声ほどの効果はないが、それでも手が震えて狙いが定まらない。
その中で。
牛の視界は広いと聞くが、ミノタウロスはそれに該当するのだろうか。
いや、気配を消す事に長けた彼女は、例え本物の牛馬であったとしても、その身が気付かれる事は少ないだろうと
私は思う。
背後の巨石に蹲っていた副官は、その鋭い視線の外にいた。
威嚇に囚われていない彼女が
その背後の方向からアヴェンジャーを振りかぶって大きく投げ込んだ。
復讐者と名付けられたナタのような小刀は、斧を固く握るミノタウロスの右手の中指を砕く。
牛男の顔が大きく天井を見上げ、悶えを上げるかのようにみえる。
巨大な金属の塊が床にぶつかり、転げ、その破片を散らした。
奴の手元に武器はない。
しかし、奴にはこれがある。
牛男は身をかがめ、天井に向けその巨大な二つの角を再び突き上げようとしていた。
「角を狙って」
そう通る声で叫ぶとハイエルフは何事かを呟きだす。
今度はそのしなやかな身体の周囲に熱を帯びた赤い光がチロチロを火花を散らし始めた。
私と軍人はその声を受け取り、牛男のド頭を狙う。
先ほどは上手く弾かれたその堅牢な双璧を。今度はその懸崖を崩し去るために。
2つの銃から放たれた弾丸は高速ながら、赤い軌道をくっきりと私たちに見せた。
その周りに小さな赤いトカゲ達がクルクルと楽しそうに回っていたのは気のせいではないのだろう。
ミノタウロスが頭上を突き上げようと跳ね上がり、その双角が天井を捉えようとする直前に
炎を纏いし弾丸は、奴の双角を捉えた。
轟音、そして黒ずんだ煙、硝煙と焦げ臭い匂いの中に鈍い音が混じる。
その中には頭を抱え床をのた打ち回るミノタウロスの姿があった。
崩れ落ちた石材や床を砕け散りながら、埃を撒き散らしながら、倒れながらも、いや余計に大きな暴風を放つ。
私は、その暴威から逃れるために入り口の方に退避をする。
「ぬぅ、魔女、異端の力でも悪魔の力でも構わない、わしに何かしら力を貸せ」
坊主が転げまわる牛男から目をそらさずに、後方のハイエルフに声を荒げる。
肩をすくめながら。
「あなたは何かしらの神に仕えているのでしょう。神は信徒が英雄譚に語られるのを非常に好むわ」
「どういうことだ?そういうことか」
自問自答をしながら答えが出たのだろうか、
肉に埋もれて部分が判断できないのだが、その頭は背後から頷いたかのように思えた。。
「神よ」
短く強く、そして俗物とは思えぬような厳かさ。
坊主がそう唱えると、崩れ落ちた天井から一閃の光が坊主に降り注ぐ。
「これは・・・」
レンブラントやラファエロの絵画で、神の使徒が光に塗れる絵画を何処かで見たことがあるだろうか?
目の前でその光景が再現されているのを想像してほしい。
私は口を噤んでいたので、こう漏らすのを何とか堪えたが。
そう口にしてしまうのは無理もないことだ。
「ええ、神の奇跡よ」
模範解答、まさしく坊主は絵画の様な神の奇跡に包まれていた。
ただ例の神の使徒を横に5倍6倍と広げたヒキガエル人間の風貌ではあったが。
その光を身に纏い、ハルバードを頭上に掲げるのを私は観た。
ええ、私が観たのはそこまでだ。
英雄譚を全て語ることが出来ないのは残念だが、私は吟遊詩人ではない。
私はそのまま身を翻し、コソコソと地上を目指し通路を階段を駆け登った。
副官は私より先に脱出している。
牛男は倒される、そう私が請けた依頼は遅かれ早かれ達成される、いやもう達成されたかもしれない。
ここから私が、私たちが何をしようが一向に構わないはずだ。
この後に健闘を讃えあい、無事を確かめ合い、そしてハイエルフはいなくなり・・・
そういう風景と繋がりに私は全く一向に興味がなかった。
私が興味を持つことはただ一つ。
光が見える、私は先ほどと同じように最後の階段を駆け登る。
敗走時と変わらずに足と身体は重かったが、多少の余裕があった。
そして心躍る可能性をも手にしていた。
登った時には多少は楽しんだ光景だが、今回はその余裕がない。
私は遠くカンディアを目に捉え、その方向を確認した。
「ナイス」
声とともに、右の拳を強く握りしめる。
階下には、馬がつないであった。
一足先に脱出した副官が、近くに繋ぎなおしておいてくれたのだ。
私は再び駆け足で階段を、半ば転がるように下り、馬の鞍によじ登った。
息は馬上で整える。
ただ両足はプルプルと震え、その限界を迎えつつあった。
私は落馬だけはしないようにと、馬の首にしがみつくように。
それでも馬を急がせた。
門番が両手を広げて、侵入を阻止しようとするのも構わずに。
安心してほしい、門番は寸前でその身を交わしていたはずだ。
私はそのままカンディアの町の石畳を蹄鉄で叩きながら、港に向かった。
港湾役人が追いかけてくる。
私は波止場の手前で馬を降り、この馬を譲るから私の行為と出港をどうにか収めてほしいと伝える。
そのしかめ面の中に、そっとドゥカートを幾枚か握らせると、許容の表情が混じり込んだ。
短艇から副官が立ち上がり、その両手を振っている。
私は短艇と海の5フィート程の間を飛び越えようと。
「おっと」
ちょっとだけ足りなかった、寸前のところで彼女が私の両手を掴む。
「助かった!」
「ほんとどんくさい」
そう言い放ち、停泊してある愛船へ。
沖合に背中を向けてオールを漕ぎ始めた。
「持ってきた?」
「そこの袋の中」
私は船底の革袋の口を開けた。
その中には。
その中には、大小金属の破片が幾枚か詰め込まれていた。
刃が欠けた部分だろうか、そこに指をそっと力を入れずに置き当てると、一線が指の腹に浮かび、後から血がにじんできた。
驚くべき鋭さ。
銅器ではないし、鉄器でもない。
合金か、それとも未知なる鉱石だろうか、判断がつかない。
やはり普通の金属とは違う気がする。
そのまま天にかざす。
鈍い青色をしており反射はしないのだが、陽の光に当てると何故だか黄金にも輝く。
「あたりだ、たぶん当たりだ」
「ねーねー、種明かしをしてくれてもいいんじゃない?」
そう副官が集めてきたのは、ミノタウロスの斧の破片だ。
私や副官が武器に向けて攻撃を集めたのは、出来る限りこの破片を集めるためだったのだ。
「何年か前にカンディアの郊外でアトランティスの財宝が見つかったって話、覚えてる?」
「あーオリハルコンの!
クレタだか東地中海にあったアトランティスはオリハルコンの武器をもって周囲を圧倒したってやつでしょ?
でも見つかったのは青銅器にメッキをかけたものだったんでしょ?」
お、意外に博識、さすがに私の副官だ。
「そうそう、ただメッキの技術だって大したものだし
それに、あれは文明の後期で、オリハルコンが製鉄出来なくなった時期の物じゃないかなと思うんだ。
つまり・・・」
「オリハルコン、その物は存在した」
素晴らしい、うちの副官は聡い!
「何ニヤニヤしてるの」
いや、それは君が賢いからだよ、私はそう言うのを我慢した。
「うんうん、ほら、ハイエルフがこの地の昔話をしたじゃない。
彼女が語るに、私たちが知る歴史以上のものが世界には存在する。
神々の戦争があった時代にはオリハルコンがあり、それが後世にも残っていたのではないか」
「それが牛男の斧?」
「わからんが可能性はある、それにこの金属は明らかに現世では存在しないものだ」
船上から縄梯子が下ろされて、私はそれを掴む。
お尻を副官に抑えられながら、必死によじ登る。
「リスボンだ、リスボンに向かうよー」
甲板で尻もちをつきながら、スタッフに向けて大声を張った。
「相変わらずかっこ悪い」
続いて登ってきた副官に手を取られながら、私は階下に向かった。
「リスボンでは金になる?」
「ミノタウロスが倒されたという情報はやがて伝わる、ひょっとしたら船より速く伝わっているかもしれない。
ポルトガルはリスボン、彼の地には今やこの世界に出回っている以上の金が流通しているだろう?
ミノタウロスが持っていた得体のしれない金属に幾らでも金を出す数寄物が唸るほどいるさ、それは国家かもしれない」
「金の出どころは問わない、問うのはその金額である」
「そういうこと」
相変わらず悪い顔をしている副官だ。
そう思いながら私は鏡を振り返った。
そこには。
「ね、悪い顔でしょ」
同じ顔をした私がいた。
全く参考にならないミノタウロス攻略記録決定される

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